音が聴こえる漫画!曽田正人は天才を書かせたら右に出るものなしの理由

Change!(1) (月刊少年マガジンコミックス)

イケハヤ先生がいつだったかのVoicyでオススメしていた漫画、チェンジをようやく読みました。

社畜なんでまとまった休みがないと読む時間がないんですよね!

 

で、これが面白かったから困る。

「イケハヤオススメの漫画が全然面白くなかった!だからアイツはつまらんのだ!社畜最高!」

といきたかったのに面白かったから困る。

 

この記事はそんなブログです。

 

チェンジってどんな漫画?

ラップの漫画です。主人公は女子高生で、可愛い大人しめの女の子がふとしたキッカケでラップに目覚める。

ラップを通じて友や恋や人生のさまざまなを織り成すといったストーリーです。

まあ、ありがちで王道ではあります。

 

作者はカペタや昴、め組の大吾で有名な曽田正人。

ありがちなストーリーではありますが、作者が作者なだけに面白い予感はしていました。

 

曽田正人の描く天才

曽田正人はゾーンに入った天才を描かせると右に出るものなしの漫画家です。

自分はバレエの漫画昴を読んでいて背筋がゾッとする感覚を覚えたことを忘れてはいません。

 

以降、スポーツを中心としたあらゆる世界で天才が出てきても、その人格はどうでも良いと思うようになりました。

 

天才とは独善的であり、どうしようもない人間で、僕らとはちょっと考えている次元が違ったりする。

時に狂気を剥き出しにする存在。

曽田正人の漫画を読んでいると、そんな天才論に思考が支配されていきます。

 

チェンジのどこが面白いのか

主人公は未だ狂気走ってはいません。

それでも、チェンジは面白い。風呂に入らながら現在刊行されている3冊を一気に、のぼせるのも構わずに読み終えてしまうほどに面白いのです。

 

なぜか?ラップと漫画って相性が良いんでしょう。

吹き出しに書かれるライムが、自然とラップ調に聴こえてくるのです。

 

今までも音楽の漫画はありました。

優れた音楽漫画は、紙面から音が聴こえてきました。

チェンジと同じ月刊少年マガジンに連載されていたベックとかまさに、音が聴こえる漫画だったのではないでしょうか。

 

でも、ベックもどこか無理やり読者自身の経験値を頼りにしていたような気がします。

オアシスやビートルズと言ったオーソドックスなロックバンドが好きな人には、それなりに音が聴こえてくるけれど、それ以外の人にはあの漫画で鳴っている音を聴くのは少し難しかったのではないでしょうか。

 

でもチェンジは音が鳴るハードルがグッと下がっています。

後ろで適当なリズムが聴こえてくれば、あとは吹き出しに書かれているリリックを読者が叩きつけるだけで良いのです。

 

チェンジは音楽漫画の新次元

音が聴こえる漫画は最高の音楽漫画。

ずっとそう思ってきました。

 

チェンジは音楽漫画を新しいステージに引き上げようとしています。

読者が一緒に音を鳴らせる漫画です。

 

作者が狂気を書かせたら右に出るもののいない曽田正人。

この後、主人公が狂気の泥沼の中、もがき苦しみながらも言葉を叩きつけていくのが楽しみでなりません。

 

その狂気の音を一緒に鳴らすことができるのんて、なんて僕たちは幸せなんでしょう。

 

Change!(1) (月刊少年マガジンコミックス)

Change!(1) (月刊少年マガジンコミックス)

 

 

 

バンプオブチキンの新曲「話がしたいよ」が43歳に響きすぎた話

毎朝の散歩中、日課のように聞いているのが中西哲夫のクロノス。

元サッカー選手で、現解説者に朝のDJやらせるとか謎すぎるよなあと思っていたのですが、案外いいんですよね。

氏が真面目で勉強家なんだろうなっていうのが、しみじみわかる番組です。

 

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指原莉乃のりゅうちぇる批判がはなはだ的外れな件

ワイドナショーに指原莉乃が出ていて、相変わらず立ち振る舞いがうまいなあ。それに少し可愛くなったなあと見ていていたのだが、やっぱり看過できない発言をしてくれた。

 

りゅうちぇるのタトゥー騒動について、「インスタにあげる時点で批判がくるのは想定内、それに対して批判のコメントを出すのは違うんじゃないかと」。

そんな趣旨である。

 

一瞬、まあそのとおりだなと思ったし、松ちゃんも同じ意見のようだけれど、やっぱりこれが、この指原莉乃の発言こそが今の日本の閉塞感を象徴しているんだよと思った次第である。

 

意見を表明することが間違っているという風潮

タトゥー写真を投稿して、思ったより世の中にはタトゥーや外見に対しての偏見が強いと感じたりゅうちぇる。

「それはおかしい。人を外見で判断するな、タトゥーなんて日本以外では普通だよ」

こう声を上げることの何が違うのだろうか。

 

自分が起こしたアクションに対して、世間の多くがNOをつきつけてきた時は、黙っていなければならないのだろうか。

 

それ、おかしいよと声を上げるところから、世間の問題意識が高まるし、新しい発想もうまれていくはずだ。

 

いつも大人の言う通りにする昭和な価値観

指原莉乃の意見は至極真っ当だろう。自分が教育を受けてきた世界では、完璧な回答だし、サラリーマン社会で求められているような回答でもある。

さすが指原莉乃。もう大御所である。

 

でも、あくまで昭和の価値観の中での真っ当な模範解答である。

おかしいものにはNOと言わなかった日本社会は、いたるところからほころびが出てきている。

企業が長い間隠蔽してきた不祥事や不正が、ガンガン明るみに出てきている。

 

もう、指原莉乃のような回答、みんなが求めていて、立場が上の人が喜ぶ回答をしている場合じゃないのだ。

次のステージにいかなければならない。

 

りゅうちぇるがんばれ

二日連続でりゅうちぇるの事に触れたが、自分は別にりゅうちぇるは好きではない。

でも、最近の彼は存分に格好いいし、新しい価値観で思いっきり社会と対峙している姿には学ぶべきところが大きい。

 

指原莉乃のように、50代の松ちゃんや60代の泉谷しげるに喜ばれるコメントをしているより、違うことは違う、変だと思うことは変だと主張するりゅうちぇるの背中はどうしても押したくなってくる。

 

自分の世代はあきらめているけれど、娘の世代ではもう少し楽しい世の中になっていてほしい。

りゅうちぇるのような立ち振る舞いが自然になればなるほど、そんな未来が見えてくるはずだから。

りゅうちぇるのタトゥーを気にしている人が恐れていること

りゅうちぇるが子供と奥さんの名前を両肩に入れた話が話題になっている。

まあ、賛否はあるだろうなあと思っていたのだけれど、びっくりしたのが否が圧倒的に目に付くという事。

 

わたしが芸能ニュースを目にするのは、主にネット。

比較的若者のメディアとされているネットニュースやSNS上でさえ、「もうファンを辞めます」とか「幻滅しました」とか、「プール行けなくて子供が可哀そう」とかの意見がテンコ盛りというわけです。

若者のメディアがこうなら、テレビや雑誌に接している中高年層は、完全否定に近いんだろうなとイメージできてしまいます。

 

今は何時代なんだよという。

 

純粋に格好良いりゅうちぇる

インスタのストーリーに期間限定で公開されている、タトゥーを入れたりゅうちぇるの写真。

控えめに言ってかなり格好良かった。

もともとイケメンなのを、あの奇抜な格好でコーティングしていただけだから、イケメンなのは想定通りなんだけど、タトゥーによって男らしさみたいなのが強調された感じ。

 

タトゥーといってもスミ色のシンプルな比較的さりげないもので、まあおしゃれでかわいい。

 

もう一度言うが、「へえ、りゅうちぇる格好良い」って感想を持った。

 

りゅうちぇるのタトゥーの何が嫌なのか

アホでおかまキャラだったりゅうちぇるが、結婚をして子供を産んで、立派に父親として奮闘している姿を多くの人が目にするようになってきた。

「なんか、自分たちが知っているりゅうちぇるじゃない」

 

タトゥー批判をしている人の中には、純粋に時代錯誤の他に、この「知っていたりゅうちぇると違う」に反発している人もいるのではないだろうか。

それが意識的であれ、無意識であれ。

 

いじめられっこがいつの間にか立派になっていた

人は自分より下だと思っている人をみると妙に安心してしまう。

自分より容姿が劣っていたり、収入が低かったり、運動ができなかったり。

だから芸能界からはおバカキャラは消えないし、際物であるお姉キャラも常に人気があるのだろう。

 

実際に劣っているかどうかは別として、劣って見えるキャラをみんなは欲している。

アホだなあと言いながらそんな彼や彼女らを見て安心をする。

以前のりゅうちぇるもそうだった。

 

でもりゅうちぇるはどんどん変わっていく。

多分父親になることを意識してなのだろうけれど、どんどんまともになっていく。

いや、アホなふりをするのをやめたのだろう。

 

タトゥー批判をしている人たちはそれが気に食わない。

アホでお姉キャラだったりゅうちぇるが、いつの間にか立派な父親になって、両腕にタトゥーなんか入れて海外セレブみたいになっているのだ。

一気に追い抜かされた気分なのだろう。

 

とりあえず世間は許さないと言っておく

だからタトゥーなんて世間が許さないと大声で非難する。

いや、許していないのは世間ではなく、自分なのに。

 

そしてプールにいけないと騒ぐ。

いや、だったら海行くし、こちとら毛深いからプールには元から行ってないんだよという話でもある(いや、毛深いのはりゅうちぇるではなく)。

 

自分より下だと思っている人が、いつの間にか立派になっていく恐怖。

それをお茶の間のわたしたちは、りゅうちぇるに突き付けられている。

ローラ迷うことなく歩みを進める新しい道

バラエティ番組から消えたローラ

ローラがテレビに出なくなってからどのくらいが経つのだろうか。

いや、正確にはテレビの”バラエティ番組”に出なくなってから、どのくらい経つのだろうか。

 

事務所独立騒動から、トラブルメーカーとしての扱いを受けてしまったのか、それまでは引く手あまたであったバラエティ番組で姿を見ることはなくなってしまった。

今では、その活動拠点を海外へ移し、主な活躍の場はテレビCMであったり、インスタグラムといったSNSである。

 

バラエティ番組経由でのお茶の間への露出はめっきり減ってしまったが、ティーンを中心とした若い女性への影響力はいまだ衰え知らずで、その底力はやはりといったところ。

 

ユニセフへの1,000万円の寄付が意味すること

最近ではハリウッド映画へ出演するなど、より一層活躍の場を広げているローラだが、少し今までとは毛色の違うニュースを目にした。

ユニセフへ1,000万円の寄付をしたというのだ。

 

動機は、子供や動物の幸せを願ってとのこと。

海外セレブの間では、慈善活動や寄付活動は至極当然の話で、わたしたち日本人も海外セレブの慈善活動のニュースはたびたび目にする機会があるだろう。

 

ただ、こと日本となると話は変わってくる。

多額の寄付をしている芸能人のニュースをそれほど見る機会はない。

名前を明かさず寄付活動をしている芸能人は恐らくいるだろう、しかし寄付したことを公に、自然に明かすような芸能人はそれほど多くはないだろう。

 

ニュースになると言えば、「実はあの芸能人がお忍びでボランティアに来ていた」的なタイガーマスク的な話ばかり。

 

だからこそ、ローラの1,000万円の寄付に対しては、疑問符をつける人もいるのだろう。

でも、とても残念だけれど、今回のローラの寄付に疑問符をつけるような人たちは、もうローラの視界には入っていないだろう。

もう、ローラはそんな次元を、スケールの小さな日本という世界の中で通用する同調圧力からは遥か遠くに解き放たれた場所にいあるのだから。

 

勇敢なリズムで歩くローラ

事務所から独立をして、我が道をローラは歩き出したのだ。

日本のどうでも良いしがらみを引きちぎって、今まで積み上げてきたローラブランドを礎に、自分のやりたいことをやりたいように、世界基準でただやるだけなのだ。

 

そして日本の若者たちも気が付いている、ローラは正しい。

いや、正しいかどうかはわからないけれど、ローラのように自分の信念を持って行動をすることはごく自然な話で、目指すべき道だと。

 

もうローラははるか遠くの別の道を歩いている。

勇敢なリズムで混とんとした密林をかき分けながら歩いているのだ。

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