あいみょんの「ハルノヒ」と老人の暴走事故。
いつもより少し遅めに帰宅。
ご飯を食べて何気なくテレビを見ていたら、クレヨンしんちゃんとあいみょんがミュージックステーションに出ていた。
1歳の娘は着ぐるみのクレヨンしんちゃんに反応してキャッキャ騒いでいる。
あいみょんの「ハルノヒ」は相変わらず凡庸
この日あいみょんが歌ったのは映画クレヨンしんちゃんの主題歌。
クレヨンしんちゃんはよく知らないのだけれど、この映画はクレヨンしんちゃんの両親の出会いなどを描いた作品のようだ。
ミュージックステーションではクレヨンしんちゃんの映画の映像が流れて、続けてあいみょんが歌い出すと言った演出。
相変わらずあいみょんの歌は凡庸で、その凡庸さは「ハルノヒ」でピークを迎えたと言っても良いくらい。
よくあるリズムに展開に、少しひねった歌詞。
まあ、あいみょんの真骨頂と言えば真骨頂。
1時間ずっと「ハルノヒ」を聴いた
ミュージックステーションを見ながら、あいみょんの「ハルノヒ」を一応Applemusicでダウンロード。
そのまま愛犬の散歩へ。
散歩をはじめてすぐに「ハルノヒ」を聴いた。
凡庸な歌のはずなのに、何度かリピートした。
途中、石野卓球のアルバムを少し挟んで、また「ハルノヒ」を聴いた。
結局1時間くらいずっと、あいみょんの「ハルノヒ」を聴いていた。
犬の散歩。我が家のワンコお気に入りのいつもの散歩道。
あいみょんの「ハルノヒ」はそんな日常にピタッと寄り添ってくる曲。
大切な日常があるから、「ハルノヒ」を何度も何度も聴いてしまうのかも。
高齢者の暴走運転で奪われる日常
あいみょんが「ハルノヒ」をミュージックステーションで歌ったのと同じ日、高齢者が暴走運転をした。
「アクセルが戻らなかった」という理由で、次々と人を跳ね飛ばして、3歳の子供とお母さんが亡くなった。
日常は突然終わる。
日常の危うさが「ハルノヒ」を輝かす
あいみょんが「ハルノヒ」で鳴らす日常や、希望は、永遠に続くことなんてなくて、ふとしたすれ違いや、理不尽な暴力によってあっけなく終わってしまう。
今回の老人の暴走事故のように。
みんなその日常の危うさを薄々と感じて、恐怖を抱いているからこそ、あいみょんが歌う日常は輝くのかもしれない。
あいみょんが歌う日常は、一見ありがちだけれど、決して手に入ることがない日常を歌っているように聞こえる。