いい歌だと思ったら大体大橋トリオだという説について
昨日は妻と娘を連れ立ってアリオモールへ。
ゴールデンウイークの最終日という事もあり、フードコートは激混みでした。
なかなか疲弊します。
道中はラジオを聴くことが多いのですが、昨日は突然琴線に触れるメロディーが飛び込んできます。
これがあるから、ラジオは好きです。
早速流れている歌をアプリで確認してみると、薄々はわかっていたことで大橋トリオの歌でした。
「さくら」という歌。
実はこんなケースがやたらと多くて、ラジオだったり、お店のBGMでかかっている曲を後から調べてみると大橋トリオの曲ですと。
なんかそんなことを5年以上はやっている感じがします。
多分大橋トリオの物悲しいメロディーラインが、自分は大好きなんでしょう。
そんなに大好きなら、一度はちゃんとフォローしてみればという感じがするのですが、一度も大橋トリオのCDを購入したことはないし、配信している曲を購入したこともありません。
今でこそ、Apple Musicで聴いたりはしますが、追加で支払いが発生したとすると絶対買わないでしょう。
これほど好きなのにどうして?
自分にとって大橋トリオは最高のポップミュージックなのでしょう。
ロックや、今ならラップみたいに、その生き方込みで音楽を聴くように調教されてしまっている自分。
大橋トリオはあくまでその音楽のみが好きで、彼?の歌からは生き方など見えてこないからです。
大橋トリオに夢中になることはできません。
大橋トリオが誰なのか、その容姿さえ自分はよく知りません。
でも、何度も何度も彼?の歌は自分と少し距離を置いたところで鳴っていました。
聴こえていました。
多分、これからも大橋トリオに夢中になるようなことはないでしょう。
ライブに行くなんてこともあまり考えられません。
のんびりとサラリーマンをやっている自分ですが、ロックだったりケンドリックラマーを聴いていたりするとたまに酷く疲れることがあります。
ケンドリックラマーのラップは、決してサラリーマンの日常の延長線上にはないからです。
大橋トリオの曲は、サラリーマンとして過ごしてきた20年のあらゆるシーンで無理をせずに聴くことができました。
決して夢中になることはないけれど、絶えず曲を届けて欲しい。
自分にとって大橋トリオはそんな存在です。