なんでオアシスファンって駄目な人が多いんだろう

オアシス好き!っていう人って、結構人として微妙と言うか、ほぼほぼサラリーマンとしては成功していない人が多い。

完全の自分が対峙してきた世界の中での話と、自分自身がエビデンスなんだけど、オアシスが好きでビシッと出世している人ってみたことがない。

なんとなく理由はわかるのだけれど。

 

そもそもオアシスがダメな奴らだから

一番の理由がオアシス自体がダメな人間そのものだから。

もう、ただの音楽好きで、イギリスの労働階級出身、ノエルはそこそこの歳までローディーやってたり、リアムにいたってフーリガンだったり。

 

そんな二人の兄弟が「もうこんなんやってられっかよ」と、天才的なメロディーとロック史上まれにみる真にロック調の唄声を武器にのし上がった。

その姿が楽曲に反映されているのがオアシスの魅力なのだろう。

 

「うだつのあがらねえ気持ちわかるぜ!でも、ブルースだって歌えるさ」っていう曲が好きなのって、やっぱり今うだつの上がらない俺らなんだよなあ。

 

保守的なサラリーマン体質だから

オアシスって基本的にはずっと同じような懐古趣味のバントでした。

次のアルバムはダンスだぜ!とかノエルが言ってても結局ほとんどは大味のだらっとしたロック。

 

出自もビートルズだったりTレックスだったりと過去のバンドの影響をバリバリ引きづっている。

 

ファンもそんな過去の影響を一身に背負って、変わることのないオアシスが好き。

サラリーマンなんて糞くらえみたいなことを言っていて、実は変わらないものが大好き。

まあ、そんな人たちに大きな仕事はできませんわな。

 

ビートル好きは仕事ができるよ

そんな意味ではビートルズを好きな人、といっても後期ビートルズだけれど、これは仕事ができるかもしれませんね。

後期ビートルズは探求心バリバリで変わることを由としていたからです。

 

知り合いからオアシス好きを排除しよう

というわけで、知り合いにオアシス好きがいたら、そのコミュニティーはぬけるべきかもしれませんね。

自分も変にオアシス好きつながるとダメな人に拍車がかかるので、一人ヘッドフォンで聴くようにしています。

 

バンプオブチキンの新曲「話がしたいよ」が43歳に響きすぎた話

毎朝の散歩中、日課のように聞いているのが中西哲夫のクロノス。

元サッカー選手で、現解説者に朝のDJやらせるとか謎すぎるよなあと思っていたのですが、案外いいんですよね。

氏が真面目で勉強家なんだろうなっていうのが、しみじみわかる番組です。

 

で、中西哲夫さん、ちょっと社会不適合者っぽいところあって、不器用と言うか。

そんなところが憎めないですね。

 

多分、そんな中西哲夫のクロノスで流れていたのが、バンプオブチキンの新曲「話がしたいよ」。

なんつうタイトル。ちょっと長渕はいってるじゃんと思っちゃいました。

まあ、バンプの4人ももう30代でしょうし、そりゃ話もしたくなるでしょうよと、犬を連れて歩きながら聞いていたわけです。

 

あ、ナニコレ。懐かしい。

 

バンプは自分がサラリーマンになったころと同時期にデビュー。

サラリーマン時代の初期はしょっちゅう聞いていて、左遷された先で仲良くなったあの娘と天体観測聴いたり、うまくいかない仕事中には営業車でジュピターを聴き続けたり。

20代の中盤までバンプにべったり依存していました。

 

そんなバンプのことなんて忘れてしまったのが、今の会社に入って堕落してキャバクラとかに入り浸っちゃてたころから。

なんか、酒でただれた脳にはバンプは刺激が足りなかったんですよね。

 

まあ、そんな自分もキャバ嬢に騙されたり、自分を騙したキャバ嬢が自殺しちゃったりありながら、気が付くと娘が産まれていました。

で、犬を連れて散歩をするようになったと。

そして久々に耳にした新曲に狼狽しています。

 

バラードでありながら、行進曲のように鼓舞してくるなあと思いました。

そして懐かしいんですよね。

もしかするとバスが出てきたりが車輪の唄っぽいからなんでしょうかね。

軽度ではありますが、軟調なんでイマイチ歌詞を聴きとることはできないんですが、後半にかけての熱を帯びていく感じ。

43歳でうだつのあがらないサラリーマンの顔を上気させるのには十分です。

 

なんだがゴージャスな衣装で歌っているのをみかけることが多かったバンプが、ラフな格好で登場するPVもイイですね。

 

朝、娘をあやしながら何度も聞いて、会社にいる間はずっと頭の中で鳴っていて、なんて素敵な1日だったのでしょう。

良い1日の日記にかえて。

さくらももこは良くも悪くも平成の象徴だった

漫画家のさくらももこさんが亡くなった。

ほとんどメディアには登場しないながらも、たくさんの人が代表作である「ちびまるこちゃん」を通じて、なじみのある人だったから、たくさんの驚きの声があがっているし、自分も本当にびっくりした。

 

そして、多くの人が思ったであろう、平成が終わったという感覚。

これを自分も強く感じた。

「ちびまるこちゃん」と「さくらももこ」は、平成の空気感を上手に体現した、いやもしかすると作り出していたとさえ感じるのだ。

 

ちびまるこちゃんが登場した時代

ちびまるこちゃんの放送が開始されたのは1990年、平成2年。

バブル景気真っただ中ながらもはじける予感がプンプンしていた頃。

自分は中学生から高校生になろうとしているタイミングで、少し大人になりかけではあったが、「これは面白いアニメだなあ」と思った記憶がある。

 

中学生から大人の、ちょっとひねた当時の気持ちと、ちびまるこちゃんのシニカルさがマッチしていたのだろう。

当時は吉田戦車の漫画が流行っていたり、不条理でシニカルなものが世に受け入れられだした時代だった。

 

平成はシニカルな時代

そう、平成はシニカルな、斜に構えた時代だった。

高度経済成長で破竹の勢いで処理を続けていた日本がバブルの崩壊で打ちのめされて、卑屈な笑みを浮かべないと正気を保てない時代。

 

まさにちびまるこちゃんのあんな感じの笑み。

 

時代と作品の空気が見事にリンクしていた。

 

ちびまるこちゃんで育った日本

そんなシニカルな笑いが日曜日の夕方、お茶の間の視線をくぎ付けにしていた時代があった。

どこか恥ずかし気で、さめた笑いをする、それでも優しい女の子が主人公のアニメ。

日本中の人たちが家族そろって見ていた。

 

恥ずかし気で、さめた笑いをする。でも優しい。

なんだか今の日本人の大半をモデルにしたかのような造形。

 

いや、ちびまるこちゃんをモデルにして日本人ができたのかもしれない。

そう思えてしまうほど、ちびまるこちゃんと、今の日本人のイメージは一致している。

 

どことなく自信のない日本、悟ったふりをする日本の空気、平成はそんな時代で、それはちびまるこちゃんを共犯として作り上げられたのではないだろうか。

また、それでも上手に表現できない優しさい人があふれている日本、それもまたちびまるこちゃんを日曜日の夕方に見続けていたからこそ作り上げられたのではないだろうか。

 

今回のさくらももこさんの訃報に際して、ちびまるこちゃんという作品の化け物具合をあらためて認識した。

ご冥福をお祈りいたします。

 

わたしたち40代おっさんがキムタクから学ぶべきこと

先日、木村拓哉と嵐の二宮和也がW主演を務める映画、「検察側の罪人」を見た。

いや、正確にはテレビ番組で宣伝をしているのを見た。

 

残念ながら、映画自体の面白さは宣伝自体からは感じることはできなかった。

ただ一つもった感想、それは「キムタクすげえなあ」というもの。

 

わたしのような40代はやっぱりあらためてキムタクの凄さを実感し、学ぶべきではないだろうか。

 

わたしたち40代とキムタクの出会い

わたしたち40代はキムタクが登場した頃から知っている世代だ。

お茶の間に認識されだすころ、彼はロン毛で生意気な目つきをしていた。

生意気な目つきというか、意思のこもった今と同じような目つきだ。

 

まわりの女の子たちはやっぱりワーキャー言い、あまり見ていて良い気分ではなかった。

自分の器の小ささがよくわかる話だ。

 

髪を切ったり伸ばしたりで、微妙に変化をつけてくるキムタク。

個人的には短髪の時の方が好きで、短髪の時にはやっぱ格好いいなあと、彼女と話していたりした。

彼女がいるときの余裕があっただけかもしれないのだけど。

 

で、つかづ離れずで絶妙なタイミングで私たち40代のリビングを席捲し続けるキムタク。

ヒーローが放送される頃には、大スターとして認めざるを得ない状況になっていた。

 

落ち目のキムタク

そんなキムタクももう40代の中盤。

あろうことか娘さんがデビューするのがニュースになってしまう年代。

 

スマップ解散時の立ち振る舞いの悪さが影響してなのか、最近は映画もヒットしていないようだ。

 

わたしたちおっさんはキムタクを目指してからがなんぼだ

落ち目だなあなんて、妻とへらへら話していた翌日に先の宣伝を見たわけだ。

全然落ち目じゃねえ。

 

その身体が醸し出す鋭さ。もうそれだけでキムタクだった。

そしてキレのある歩き方。

 

いや、正直落ち目なのかもしれない。

でも、そんなことを感じさせない立ち振る舞いをみて、ひゅるひゅると私の口からは息が漏れた。

 

痩せろ。

 

テレビ画面の中のキムタクはそう言っているかのようだった。

もしも日本中のおっさんのキムタク比率があがったら、なんだか少し格好いい日本になる感じがする。

中身なんかどうでも良いから、私たち40代おっさんはキムタクを目指すべきなのだ。

 

偉そうに若い世代に語る前にやるべきことがある。

痩せて、小ぎれいにして、身体を引き締める。

これだけできれいれば、きっと空気は締まるだろう。

 

キムタクがいる現場は一味違うと、先の宣伝で二宮和也も言っていた。

それは恐らく引き締まった身体で切れのある歩き方をするからなのだろう。

 

指原莉乃のりゅうちぇる批判がはなはだ的外れな件

ワイドナショーに指原莉乃が出ていて、相変わらず立ち振る舞いがうまいなあ。それに少し可愛くなったなあと見ていていたのだが、やっぱり看過できない発言をしてくれた。

 

りゅうちぇるのタトゥー騒動について、「インスタにあげる時点で批判がくるのは想定内、それに対して批判のコメントを出すのは違うんじゃないかと」。

そんな趣旨である。

 

一瞬、まあそのとおりだなと思ったし、松ちゃんも同じ意見のようだけれど、やっぱりこれが、この指原莉乃の発言こそが今の日本の閉塞感を象徴しているんだよと思った次第である。

 

意見を表明することが間違っているという風潮

タトゥー写真を投稿して、思ったより世の中にはタトゥーや外見に対しての偏見が強いと感じたりゅうちぇる。

「それはおかしい。人を外見で判断するな、タトゥーなんて日本以外では普通だよ」

こう声を上げることの何が違うのだろうか。

 

自分が起こしたアクションに対して、世間の多くがNOをつきつけてきた時は、黙っていなければならないのだろうか。

 

それ、おかしいよと声を上げるところから、世間の問題意識が高まるし、新しい発想もうまれていくはずだ。

 

いつも大人の言う通りにする昭和な価値観

指原莉乃の意見は至極真っ当だろう。自分が教育を受けてきた世界では、完璧な回答だし、サラリーマン社会で求められているような回答でもある。

さすが指原莉乃。もう大御所である。

 

でも、あくまで昭和の価値観の中での真っ当な模範解答である。

おかしいものにはNOと言わなかった日本社会は、いたるところからほころびが出てきている。

企業が長い間隠蔽してきた不祥事や不正が、ガンガン明るみに出てきている。

 

もう、指原莉乃のような回答、みんなが求めていて、立場が上の人が喜ぶ回答をしている場合じゃないのだ。

次のステージにいかなければならない。

 

りゅうちぇるがんばれ

二日連続でりゅうちぇるの事に触れたが、自分は別にりゅうちぇるは好きではない。

でも、最近の彼は存分に格好いいし、新しい価値観で思いっきり社会と対峙している姿には学ぶべきところが大きい。

 

指原莉乃のように、50代の松ちゃんや60代の泉谷しげるに喜ばれるコメントをしているより、違うことは違う、変だと思うことは変だと主張するりゅうちぇるの背中はどうしても押したくなってくる。

 

自分の世代はあきらめているけれど、娘の世代ではもう少し楽しい世の中になっていてほしい。

りゅうちぇるのような立ち振る舞いが自然になればなるほど、そんな未来が見えてくるはずだから。

りゅうちぇるのタトゥーを気にしている人が恐れていること

りゅうちぇるが子供と奥さんの名前を両肩に入れた話が話題になっている。

まあ、賛否はあるだろうなあと思っていたのだけれど、びっくりしたのが否が圧倒的に目に付くという事。

 

わたしが芸能ニュースを目にするのは、主にネット。

比較的若者のメディアとされているネットニュースやSNS上でさえ、「もうファンを辞めます」とか「幻滅しました」とか、「プール行けなくて子供が可哀そう」とかの意見がテンコ盛りというわけです。

若者のメディアがこうなら、テレビや雑誌に接している中高年層は、完全否定に近いんだろうなとイメージできてしまいます。

 

今は何時代なんだよという。

 

純粋に格好良いりゅうちぇる

インスタのストーリーに期間限定で公開されている、タトゥーを入れたりゅうちぇるの写真。

控えめに言ってかなり格好良かった。

もともとイケメンなのを、あの奇抜な格好でコーティングしていただけだから、イケメンなのは想定通りなんだけど、タトゥーによって男らしさみたいなのが強調された感じ。

 

タトゥーといってもスミ色のシンプルな比較的さりげないもので、まあおしゃれでかわいい。

 

もう一度言うが、「へえ、りゅうちぇる格好良い」って感想を持った。

 

りゅうちぇるのタトゥーの何が嫌なのか

アホでおかまキャラだったりゅうちぇるが、結婚をして子供を産んで、立派に父親として奮闘している姿を多くの人が目にするようになってきた。

「なんか、自分たちが知っているりゅうちぇるじゃない」

 

タトゥー批判をしている人の中には、純粋に時代錯誤の他に、この「知っていたりゅうちぇると違う」に反発している人もいるのではないだろうか。

それが意識的であれ、無意識であれ。

 

いじめられっこがいつの間にか立派になっていた

人は自分より下だと思っている人をみると妙に安心してしまう。

自分より容姿が劣っていたり、収入が低かったり、運動ができなかったり。

だから芸能界からはおバカキャラは消えないし、際物であるお姉キャラも常に人気があるのだろう。

 

実際に劣っているかどうかは別として、劣って見えるキャラをみんなは欲している。

アホだなあと言いながらそんな彼や彼女らを見て安心をする。

以前のりゅうちぇるもそうだった。

 

でもりゅうちぇるはどんどん変わっていく。

多分父親になることを意識してなのだろうけれど、どんどんまともになっていく。

いや、アホなふりをするのをやめたのだろう。

 

タトゥー批判をしている人たちはそれが気に食わない。

アホでお姉キャラだったりゅうちぇるが、いつの間にか立派な父親になって、両腕にタトゥーなんか入れて海外セレブみたいになっているのだ。

一気に追い抜かされた気分なのだろう。

 

とりあえず世間は許さないと言っておく

だからタトゥーなんて世間が許さないと大声で非難する。

いや、許していないのは世間ではなく、自分なのに。

 

そしてプールにいけないと騒ぐ。

いや、だったら海行くし、こちとら毛深いからプールには元から行ってないんだよという話でもある(いや、毛深いのはりゅうちぇるではなく)。

 

自分より下だと思っている人が、いつの間にか立派になっていく恐怖。

それをお茶の間のわたしたちは、りゅうちぇるに突き付けられている。

ローラ迷うことなく歩みを進める新しい道

バラエティ番組から消えたローラ

ローラがテレビに出なくなってからどのくらいが経つのだろうか。

いや、正確にはテレビの”バラエティ番組”に出なくなってから、どのくらい経つのだろうか。

 

事務所独立騒動から、トラブルメーカーとしての扱いを受けてしまったのか、それまでは引く手あまたであったバラエティ番組で姿を見ることはなくなってしまった。

今では、その活動拠点を海外へ移し、主な活躍の場はテレビCMであったり、インスタグラムといったSNSである。

 

バラエティ番組経由でのお茶の間への露出はめっきり減ってしまったが、ティーンを中心とした若い女性への影響力はいまだ衰え知らずで、その底力はやはりといったところ。

 

ユニセフへの1,000万円の寄付が意味すること

最近ではハリウッド映画へ出演するなど、より一層活躍の場を広げているローラだが、少し今までとは毛色の違うニュースを目にした。

ユニセフへ1,000万円の寄付をしたというのだ。

 

動機は、子供や動物の幸せを願ってとのこと。

海外セレブの間では、慈善活動や寄付活動は至極当然の話で、わたしたち日本人も海外セレブの慈善活動のニュースはたびたび目にする機会があるだろう。

 

ただ、こと日本となると話は変わってくる。

多額の寄付をしている芸能人のニュースをそれほど見る機会はない。

名前を明かさず寄付活動をしている芸能人は恐らくいるだろう、しかし寄付したことを公に、自然に明かすような芸能人はそれほど多くはないだろう。

 

ニュースになると言えば、「実はあの芸能人がお忍びでボランティアに来ていた」的なタイガーマスク的な話ばかり。

 

だからこそ、ローラの1,000万円の寄付に対しては、疑問符をつける人もいるのだろう。

でも、とても残念だけれど、今回のローラの寄付に疑問符をつけるような人たちは、もうローラの視界には入っていないだろう。

もう、ローラはそんな次元を、スケールの小さな日本という世界の中で通用する同調圧力からは遥か遠くに解き放たれた場所にいあるのだから。

 

勇敢なリズムで歩くローラ

事務所から独立をして、我が道をローラは歩き出したのだ。

日本のどうでも良いしがらみを引きちぎって、今まで積み上げてきたローラブランドを礎に、自分のやりたいことをやりたいように、世界基準でただやるだけなのだ。

 

そして日本の若者たちも気が付いている、ローラは正しい。

いや、正しいかどうかはわからないけれど、ローラのように自分の信念を持って行動をすることはごく自然な話で、目指すべき道だと。

 

もうローラははるか遠くの別の道を歩いている。

勇敢なリズムで混とんとした密林をかき分けながら歩いているのだ。