小沢健二は僕らにかけられたマッチョな呪いを解くために歌っているのかなあ。
先週、会社の会議で温泉に行っていた自分宛に妻からLINEが飛んできた。
オザケン、変な歌歌ってるよー
あ、これは良い歌だなと確信した。
音楽にそれほど興味がない妻は、ポップな歌以外はガン無視するのが常であるからだ。
自分が録画していることを知っていたとはいえ、Mステを見てわざわざそんな感想を投げつけてくるってことは、よほど引っかかりがあったのだろう。
かつ、それなりに聴ける曲だったのだろう。
帰宅して犬の散歩を終えて一息ついたところで、録画していた小沢健二。20年ぶりにMステ登場を見た。
小沢健二の演奏を見るのは初めてかもしれない。
もう、小沢健二の対極。
小沢健二かなよっと登場した途端、ダサい!って思うほどダサいくらいに長渕にハマっていた。
最近、比較的頼りにしている音楽評論家がやたらと小沢健二の名前を出すので、今回は無視することはできなかった。
当然だけれど、今は長渕剛を聴くことはほぼない。
良い歌だった。わかりそうでわかるかな?っていう歌詞や、妙に前向きな曲調。そして何より少し凝って聞こえるバックの音。
最近テレビから流れてきた曲の中では、宇多田ヒカルと同様の格の違いを見せつけてくれる曲だった。
乾杯。
いやこれは長渕剛の歌。
もとい、完敗。
高校生時代、オザケン派では長渕派だった事が後悔されるレベルに良い曲だった。
長渕剛を聴いて、変にマッチョな呪いを自分にかけてしまったのを後悔するレベルに良い歌だった。
オザケンと同じ方角を見て、息遣いを感じで生きていたら、もっと楽な人生を送ることができたかもしれない。
ところどことろ、わざとなのか、妙にダサい、ダサく感じるメロディーラインやギターソロがあるのはちょっとなあと思うけれど、それで小沢健二にはイマイチハマりきれないけれど、彼は日本に根強く残るマッチョな呪いから自分達が逃れることの手助けになるかもしれない。