宇多田ヒカルサントリー南アルプス天然水CM曲。Play A Love Songはトラベリング級のアンセムだった!
小沢健二が36人編成でライブをスタートさせたようです。
まったくもって想像ですが、ファンクっぽいライブなのかなあと。
小沢健二からは時にブラックミュージックの匂いがしますので、きっときっとそうだと。
ファンクっぽくて祝祭感に満たされたライブなんじゃないのかなと。
ゴリゴリロックだけが好きで、自分がブラックミュージックに興味を持つようになったのは、宇多田ヒカルです。
なんだよ突然という話ですが、小沢健二以上に日本でブラックミュージックの息吹を感じさせてくれるのが宇多田ヒカルじゃないのかなあと思うわけです。
宇多田ヒカルが新曲を出しました。
CMソングにもなっているので、すでに耳にした方も多いでしょう。
感想はどうでしたか?
自分はかなりスルーしてしまいました。
ああ、CMソングだなあと。
そんな中今朝、中西哲生のクロノスというラジオ番組で偶然フルコーラスに近いバージョンを聴くことになったのですが。
ぶったまげたというわけです。
帰宅してすぐに購入。
徒歩通勤の20分はリピート再生。
身体から生えている足が、別の誰か、そう飼っている柴犬のものと交換されたかと錯覚するほどノリノリで歩きました。
自分は宇多田ヒカルの歌の中ではトラベリングがトップクラスで好きで、それは重い世界で生きている自分をちよっと上から釣ってくれる高揚感があるからなのですが、今回の新曲Play A Love Songからは同様の引きを感じました。
CMじゃわからない高揚感
宇多田ヒカルPlay A Love Songは、フルで聴いてこそ魅力が伝わる曲です。
比較的淡々と歌は進むのですが、クライマックスに向かうに連れて増していく不思議な祝祭感。
そう、まさに大編成でのライブを想像させるような。
少しゴスペルちっくな盛り上がり。
ああ、宇多田ヒカルだよな。これが。
呟いてニヤニヤしてしまいます。
本当に最高。
この歌は少しの間は自分を幸福へ向けてドライブさせてくれることを確信しています。
秦基博が夫婦円満の秘訣
結婚生活をそれなり維持するコツと言って一番最初に思い浮かぶのが、相手の気持ちを慮るというらことではないでしょうか。
独りよがりで相手の気持ちを考えない人がやりがちなのが、ドライブの車中でロック聴きまくりです。
夫婦生活を円満に保つ意思ががあるのであれば、車の中でロックなんて聴いている場合じゃありません。
そこで登場するのが秦基博というわけです。
秦基博の魅力
秦基博は男女問わず好きな人が多い、近年では珍しいアーティストが秦基博です。
どうして秦基博は人気があるのでしょうか。
秦基博はどっかで聴いたことあるを演出する
今日は買い物は向かう車中、秦基博のオールタイムベストなるものを聞いました。
久々聴いたけれど、悪くないなあ。
何が悪くないのか。
なんだか聴いたことがある声とメロディーです。
もしかすると秦基博の曲が2回目だった可能性はあるのですが、それにしてもどこかで聴いたことがある感が尋常じゃないのです。
少し凡庸な綺麗なメロディーを奏でるアメリカあたりにいそうなバントの曲と言えばよいのか。
とにかく、どこかで聴いたことがあるは名曲の印ではないでしょうか。
秦基博は声が良い
秦基博のアルバム、正直冗長です。
聴いたことがある曲も続けばイライラしてきます。
でも、ロックファンの自分たちが聴いていて時に震えるのは、そのロック的なささくれた声、これがあるから、ロックファンは秦基博を聴いてしまうのでしょう。
秦基博聴いて仲良く歩こう。
秦基博のベストを聴いている間、久々に妻が子供がいない世界を歩きました。
自分用にバックを買って、楽しい時間だったようです。
今日、日曜の車中、秦基博が最上の選択でした。
声のせいで自分は飽きない。
妻も聴いたことがある曲をなんとなく鼻歌で。
もしかすると聴いたことはないのかもしれないけれど。
夫婦円満でいくなら秦基博は悪くない選択です。
ストリーミングにいないミスチルが存在しないものとなりつつある
大学から社会人初期の頃には随分とお世話になりました。
ミスチルにまつわる思い出もあれやこれや。
特に優しい歌とか。
ユースルフルデイズとか。
サラリーマン初期に陸の孤島に流された時の、大切な思い出ソングです。
ミスチルと一緒に歳をとり、ろくにヒット曲が出なくなってもミスチルは自分の人生に寄り添い続けるんだろうな。
漠然とそう思っていました。
歳は40を超えた2018年。
ミスチルは自分の人生に寄り添うことをやめてしまいました。
ヒット曲がないから?
もちろんそれはあります。
でも最大の理由はApple Musicなどのストリーミングサービスに曲を提供していないからです。
いや、それはCDを買えよと思うかもしれません。
でも、我が家にはCDプレイヤーなどないのです。
パソコンもマックです。
みんなそんな感じじゃないでしょうか。
ミスチルに圧倒的な存在感があった頃なら、もしかするとミスチルのためにCDプレイヤーを買っていたのかもしれません。
残念ながら今のミスチルにはそこまて気持ちをドライブしてくれるような力はありません。
配信サービスに曲を提供していないアーティストはそれなりいるようです。
とても悲しいかな、そんなアーティストは存在しないも同然になりつつあります。
ミスチルよ。
手遅れになるその前に、早く僕の人生に寄り添っておくれよ。
とっちらかった気持ちにフューチャー
フューチャーというラップアーティスト。
2017年のベストアルバム的なものにやたらと顔を覗かせていたことや、音楽の目利きとして自分が信頼している宇野惟政さんが推していたような気がして、年末から聴くようになりました。
ところが初めはさっぱり良さがわからず。
結局ケンドリックラマーばかり聴いて放置をしていたわけです。
で、2018年の春。
なぜか無性に聴きたくなり、ハマりまくりです。
なんだか、素人がとりあえずラップやってみましたを高次元でやっているというか。
原始的なリズムやビートというか。
かなりとっちらかっているというか。
中毒性が尋常じゃない気がします。
これは名曲!みたいなのはなくて、雑なBGMとして通勤や散歩に最適です。
正直よくわかりません!
キャバ嬢とRADWIMPSをカラオケでリピートし続けた思い出
RADWIMPSが今よりは全くの知名度がないころ、そう、たしかあれは震災直後の2011年だったと思います。
懇意にしていたキャバ嬢とカラオケへ行く機会がありました。
酔いに任せて適当に歌い続けていた二人、何故か最後はひたすらRADWIMPSのふたりごとをリピートし続けるという酔狂なことをはじめました。
どのくらいの時間、ふたりごとを歌い続けていたのかは定かではありません。
でも、朝方まで間違いなく1時間は。
少しアニメオタクで危うい雰囲気を出している、若い女の子でしたが、とても良い子でした。
RADWIMPSのロマンチックなところが好きだと言っていたような。
そのふたりごとエンドレス祭りから1ヶ月くらいして、彼女は自ら命を絶ってしまいました。
ふたりごとの歌詞にあるように、彼女が誰かと老夫婦になって手を繋ぎながら寝るような人生は続いていませんでした。
ふたりごとの世界のように、彼女はそろそろ生まれ変わって、愛する人と再び巡り会うことはできたのでしょうか。
RADWIMPSの歌を耳にすると、必ず彼女のことを思い出してしまいます。
若くて、愛嬌があって、不器用な女性でした。
RADWIMPSの曲は、彼女のような不器用な人、自分も含めてですが、上手く世の中と折り合えない人に夢を見させてくれるのかもしれません。
時にそれは残酷ですね。
OKコンピューターがロックを終わらせた
OASISが絶頂、ブリットポップが終焉に向かいながらも、クーラ・シェイカーなんかも出てきたまだまだ盛り上がりを見せていた1997年のUKロック。
1つの傑作がそんなUKロックの盛り上がりに冷水をぶっかけました。
RadioheadのOKコンピューターです。
OKコンピューターが出た当初、自分はOASISに夢中だったお気楽ロック好きの大学生だったため、まったくその良さがわかりませんでした。
「なんだこの暗い音楽は」という感想です。
はい。すみません。
でもまともに音楽を聴いていた人たちはすぐに飛びつきました。
怪作だなこれはというところでしょう。
怪作、しばらくして自分も気がつきましたが、怪作という言葉がまさにOKコンピューターにはピッタリです。
OKコンピューターがあまりに素晴らしすぎて、「さあ、みんなで歌うぞ!」なんて気分を高揚させるロックはダメなもの、偽物みたいな雰囲気になってしまいました。
実際にはOASISだってそこまでノーテンキだったわけではないし、「さあ、みんなで歌うぞ!」っていうのも、やっぱり必要なムードではあります。
いつもOKコンピューターみたいな気持ちではないわけです。大衆は。
でもOKコンピューターは、許してくれませんでした。
OKコンピューターが出て少ししてから発売されたOASISのサード・アルバムは盛大にこけました。
OKコンピューターを聴き込んでいる最中のロックファンには軽いものに聴こえてしまったのではないでしょうか。
ただ、今聴くとOASISのサードは結構最高で、それまでのPOPさに程よい重さが加えられた今でも通じるロックアルバムです。
でも、タイミングが悪かったのでしょう。
OKコンピューターが出てからしばらく、ロック、特にUKロックを聴く機会がぐっと減りました。
あれほどの重さを持ったロックアルバムがそうそうあるわけがないからです。
そして僕らは、ハウスだったりテクノだったり時にはJ-popを聴くようになりました。
OKコンピューターが僕らとロックとの幸せな時代を終わらせてしまいました。
良いアルバムであるのは間違いありません。
でも、ちょっとした憎悪を持ってしまいます。
それが僕にとってのOKコンピューターです。
20年後も聴かれる名作OASISのビー・ヒア・ナウ(BE HERE NOW)
今朝は愛犬を散歩しながら何を聴こうかと激しく思案した朝でした。
小沢健二はちょっと聞き飽きたし、ケンドリック・ラマーだったりミーゴスだったりもリピートしすぎてさすがに。
石野卓球でも良いけれど、人の声が聞きたい。そんな朝でもありました。
思案した結果はやっぱりOASIS。
ガツンと行きたかったから、OASISの終わりのはじまりと言われているサード・アルバムのビー・ヒア・ナウを、マイビックマウスからはじめます。
OASISのサード・アルバムは早すぎた
ビー・ヒア・ナウを聴くたび思うのは、全然終わりのはじまりじゃないじゃんということ。
過剰なギターノイズが演出されるアレンジ、当時はちょっと受け止めることができなかったのですが、刺激の強い今はちょうどフィットします。
ケンドリック・ラマーなんかのラップ勢と並べてきいても、そのメロディー、強引なアレンジで遜色ないと感じます。
ラジオでケンドリック・ラマーのDNAからOASISのマイビックマウスが繋がれると、結構熱い思いがあふれると思います。
なんとなく暗い、インターネット前夜の90年代の中盤にはあっていなかったんだなあと。
ロックを終わらせた奴ら
その暗いムードとうまく寄り添ったのがRadioheadで、OKコンピューターはビー・ヒア・ナウを思いっきり封じてしまったのではないでしょうか。
ひどく残念。
長い目でみると、この2枚のアルバムが同じ年に出て、陰が陽を駆逐したのは大きかったなあと。
とにかく、OASISのサード・アルバムは今聴いても通用する名作だと感じた朝でした。
石野卓球のおかげで夫婦仲が改善した。
先月の話だったと思います。
テレビのクイズ番組を見ていたら、そう、東大生と芸能人が勝負するみたいなよからあるやつですが、曲当てクイズをやっていまして。
まずはドラムだけ流れて、次にベースもたして、次にキーボードをたしてみたいな。
正解はラブマシーンで、自分は速攻で正解したんですが、一緒に見ていた家族はさっぱり。
ブラウン管の向こう側の解答者も二人くらいしか正解していないということがありました。
どうしてわかるの!妻の驚嘆の声が気持ち良いのなんの。
さて、今日はなんとなく石野卓球を聴きながら通勤をしました。
通勤しながらのハウスやらテクノは良いですね。
歌詞がない分、考えごとをする事ができるし、その割には気分も高揚してくるという。
で、聴きながらふと思いました。
こないだのクイズで正解できたのは、石野卓球のおかげだなと。
ライジングサンの初開催、そのトップバッターで電気グルーヴを目撃してから、テクノとかハウスとか言ってみればノンボーカルの音楽を聴くようになったんだよなあと。
音楽のリズムなんかに耳を傾けることが多くなったのも、その頃からだなと。
石野卓球のおかげで妻を驚かせることができました。
今日の通勤で聴いたアルバムは2016年のもので、キラキラした美しい音楽でした。