電気グルーブの思い出
ピエール滝が逮捕されてから随分と時間が経ってしまったけれど、電気グルーブと自分の思い出を書いてみたいと思います。
ライジングサンロックフェスの歴史は電気グルーブからはじまった
電気グルーブと自分の最初の出会いはライジングサンロックフェス。
1999年からはじまた北海道初の野外ロックフェス、しかもオールナイトということで、ロッキングオン世代の自分は、顔の産毛を整えることも忘れて興奮していたのを覚えています。
興味のない彼女を無理やり誘った会場で出会ったオープニングアクトが電気グルーブでした。
ピエール滝は叫びました。
「みなみなみなさま こんにちはー!電気グルーブでございます!」
正直どんな曲が演じられたか覚えていませんが、猛烈に興奮にしたことを覚えています。
「こういうのもあるんだ・・・。ロックって楽しい!」とお門違いのことも覚えていますが、隣にいた彼女の反応は全く覚えていません。
ライジングサンロックフェスは電気グルーブからはじまったのです。
フラッシュバックディスコが孤独から救ってくれた
ライジングサンの興奮冷めやらぬまま、飛込営業なんぞをしながら過ごしていたサラリーマン初期。
超大手通信会社に間違って入社してしまったものが運の尽き、案の定地方都市へ飛ばされたのが11月でした。
はじめての独り暮らし。ほぼ童貞。友達ゼロ。
寂しいとは感じなかったけれど、なんだか虚無。小柳虚無・・・。
ちょうどそのころ、同期から教えてもらって聴いていたのが電気グルーブのフラッシュバックディスコです。
「ピロ~ピロ~」いう電子音が虚無をピタッとなでつけてくれて、少しだけ楽になる気がしました。
それまでの自分の音楽遍歴と言えば長渕剛や尾崎豊、大学に入ってからオアシスを中心としたロック。テクノやハウスとは無縁のものでした。
(オアシス繋がりでケミカルブラザースは少しだけ聴いていたか)
「こんな世界もあるんだなあ」と、地方都市の何もない独身寮で電気グルーブを聴いては自分を慰めるという日々でした。
北海道から横浜までワイアーに駆け付けた思い出
いつしか電気グルーブにはまって、ケンイシイがお気に入りになって、自分もいっぱしのテクノ好きを決め込みました。
そしてついに駆け付けた石野卓球主催のワイアーという大規模テクノイベント。
わざわざ北海道から、もう一度電気グルーブをみたいがために、えっちら稼いだ残業代を原資に遠征をしたのです。
ただひたすら暑い会場でした。熱いではなく、暑い。そこらじゅうが踊り疲れと暑さでダウンする人に占領されていて、さながら野戦病院のような思い出。
かろうじて電気グルーブのステージを見て、すぐに退散した苦い思い出です。
理想の50代を電気に見た
しばらくは音楽を聴く精神的余裕もなく、聴くとしても昔ながらのロック。
電気グルーブのような音と対峙する気力がなかったのでしょう、30代はずっぽり暗黒だったなあと思います。
40代になって結婚して、自由への疾走欲がメラメラと湧き上がってきたタイミングで偶然見たのが電気グルーブのドキュメンタリー番組。
これがむちゃくちゃ格好良かったんですよね。
何がって言われると難しいんですが、二人がしっかりアホのまま歳をとっていて、楽のオーラーをまとっているというか。
40代になってどこへ向かっていけば良いのかわからなくなっていたところ。
「電気グルーブのような雰囲気をまとった大人になろう」とうっすら感じました。
電気グルーブのこれからご期待ください!
今回のピエール滝の件で、石野卓球がまさかのお茶の間デビューを果たしていて、その振舞がまた最高なんですよね。
テレビっていう旧時代の価値観をぶっ壊す勢いです。
石野卓球は、苦虫かみつぶした顔もしないし、神妙にもしないし、媚もしない。
結局は「あんな大人になりたくない」という、多くの青年が抱いた思いを見事に体現しています。
電気グルーブの配信は2019年4月の時点で止まってしまっていますので、自分は今石野卓球をむさぼるように聴いています。
聴いている間と聴いたあとの少しの間、身体が軽くなるのを感じます。
- アーティスト: 石野卓球,keiko yamada,フランク・ミュラー
- 出版社/メーカー: キューンミュージック
- 発売日: 2001/04/25
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あいみょんの「ハルノヒ」と老人の暴走事故。
いつもより少し遅めに帰宅。
ご飯を食べて何気なくテレビを見ていたら、クレヨンしんちゃんとあいみょんがミュージックステーションに出ていた。
1歳の娘は着ぐるみのクレヨンしんちゃんに反応してキャッキャ騒いでいる。
あいみょんの「ハルノヒ」は相変わらず凡庸
この日あいみょんが歌ったのは映画クレヨンしんちゃんの主題歌。
クレヨンしんちゃんはよく知らないのだけれど、この映画はクレヨンしんちゃんの両親の出会いなどを描いた作品のようだ。
ミュージックステーションではクレヨンしんちゃんの映画の映像が流れて、続けてあいみょんが歌い出すと言った演出。
相変わらずあいみょんの歌は凡庸で、その凡庸さは「ハルノヒ」でピークを迎えたと言っても良いくらい。
よくあるリズムに展開に、少しひねった歌詞。
まあ、あいみょんの真骨頂と言えば真骨頂。
1時間ずっと「ハルノヒ」を聴いた
ミュージックステーションを見ながら、あいみょんの「ハルノヒ」を一応Applemusicでダウンロード。
そのまま愛犬の散歩へ。
散歩をはじめてすぐに「ハルノヒ」を聴いた。
凡庸な歌のはずなのに、何度かリピートした。
途中、石野卓球のアルバムを少し挟んで、また「ハルノヒ」を聴いた。
結局1時間くらいずっと、あいみょんの「ハルノヒ」を聴いていた。
犬の散歩。我が家のワンコお気に入りのいつもの散歩道。
あいみょんの「ハルノヒ」はそんな日常にピタッと寄り添ってくる曲。
大切な日常があるから、「ハルノヒ」を何度も何度も聴いてしまうのかも。
高齢者の暴走運転で奪われる日常
あいみょんが「ハルノヒ」をミュージックステーションで歌ったのと同じ日、高齢者が暴走運転をした。
「アクセルが戻らなかった」という理由で、次々と人を跳ね飛ばして、3歳の子供とお母さんが亡くなった。
日常は突然終わる。
日常の危うさが「ハルノヒ」を輝かす
あいみょんが「ハルノヒ」で鳴らす日常や、希望は、永遠に続くことなんてなくて、ふとしたすれ違いや、理不尽な暴力によってあっけなく終わってしまう。
今回の老人の暴走事故のように。
みんなその日常の危うさを薄々と感じて、恐怖を抱いているからこそ、あいみょんが歌う日常は輝くのかもしれない。
あいみょんが歌う日常は、一見ありがちだけれど、決して手に入ることがない日常を歌っているように聞こえる。
星野源!アルバム「ポップウィルス」の感想。2019年を代表する傑作だった!
NHKでは謎の特番が組まれる星野源。
SONGS枠ならまだしも、単独で特番が組まれるのは珍しいのではないでしょうか。
特番ではポップウィルスリリースツアーの映像がはじめてみられるほか、インタビューも放送されます。
放送時間は全部で45分ですが、インタビューは2時間以上収録したそうで、厳選されたエピソードが聞けることでしょう。
さて、遅ればせながら星野源のポップウィルスを聴きましたという話です。
評判に違わぬ快作でございますわね。これは。というわけで早速感想を書いてみたいと思います。
「ポップウィルス」の感想。星野源のアルバムは2019年を代表する傑作だった!
星野源「ポップウィルス」はポジティブでサザエさん的アルバム
「うわ。毒ッけがない素直なアルバムだな」
これが星野源のポップウィルスを聴いた最初の感想です。
真っ先に思い出したのが、サザエさんやドラえもんといった国民的なアニメです。
サザエさんのドラえもんも、多少は皮肉があったりはしますが、基本はネガティブな要素はなし。
だから、子供にも安心して見せることができるし、家族で食卓を囲みながらでもつけておくことができます。
星野源のポップウィルスも同様に、ネガティブな雰囲気が感じられない気持ちの良いアルバムです。
星野源「ポップウィルス」は4週連続チャートで1位
星野源の「ポップウィルス」は2018年の12月19日に発売されています。
そこから、4週連続でチャート1位に居座ったという、近年のように人々の興味がうつろいやすくて、国民的ヒットアルバムが産まれにくい状況では珍しい現象を巻き起こしました。
チャートの1位っていうのがもう、機能していない言葉っちゃ言葉ですが。
2018年12月と言えば、翌年に控えた新元号にむけて、「平成最後の〇〇」なんて言い方が流行った時期。「平成最後の紅白」とかね。
そんな文脈で表現すると、星野源のポップウィルスは「平成最後の国民的アルバム」と言っても良いのではないでしょうか。
ドラマに使われて大ヒットした「恋」、「アイデア」の他CM含めタイアップ曲が、14曲中5曲。
どうりでどっかで聴いたこと感が強いなと。
星野源「ポップウィルス」は捨て曲なしの名盤
さて、星野源のポップウィルスを入手して2日が経過して、このブログ記事を書いています。
ここまでに4回フルで聴きました。
サラリーマンやって、小さい子供がいて、犬までがいる自分にとっては非常に珍しい。
自由になる時間がないのに、4回もアルバムを通しで聴いているんです。
この、遠しで聴けるっていうのが星野源のポップウィルスの恐ろしいところであります。
どんなに名盤であっても、捨て曲は何曲かあって、ついつい飛ばしてしまうんですよね。
あのポップロックの名盤と言われたoasisのセカンドアルバムでさえ、1曲ですが飛ばされまくる曲があったのです。
星野源の「ポップウィルス」には、捨て曲はないと言っても良いレベルでしょう。
あっても数曲でしょう。つまり、最高のポップアルバムです。
星野源「ポップウィルス」はいつでも誰とでも聞ける
星野源の「ポップウィルス」にはネガティブなムードがなく、捨て曲もない最高のポップアルバムであることは、上述のとおりです。
つまり、どんなシーンでも聴くことができるアルバムということです。
ドライブに行くときにポップウィルスを持って行こう
犬の散歩をしながらポップウィルスを聴いていて、真っ先に思いうかんだのが、「ドライブで聴いたら最高だろうなあ」という感想。
妻とまだ歩けない娘、そして愛犬。家族みんなでどこかに行く車中、洗車したばかりの車で聴きたいなあと。
また、今はもう叶わぬシーンとなりますが、好きなあの娘との初ドライブで聴くのも良いよなと。
帰り道、ポジティブなムードに包まれながらもムードのあるNothingなんかでもグッと距離を詰められそう。
都合よくアルバムの後半に入っているんですよ、Nothing。
話はちょっと飛びますが、Nothingはポップウィルスの中でも図抜けて名曲です。
星野源のバラードといえば「くだらないの中に」が僕の中で定番でした。
Nothingはその定番を奪い去る可能性さえある名曲です。
家族団らんの日曜日の朝はポップウィルスを聴こう
家族団らんで聴けるのもポップウィルスの強み。
日曜日の朝、自分の好みでヒップホップなんかを聴いていたら、えらく過激なライムが食卓に突き刺さることがあります。
ポップウィルスはそんな心配は不要。
皆が笑顔になるイメージしかありません。
憂鬱な月曜日の朝はポップウィルスを聴こう
ポジティブなムードが溢れているポップウィルスは、憂うつな気分もやんわりと取り除いてくれそうです。
ポップウィルスのちょっと複雑で跳ねたリズムに合わせて歩けば、いつもより少し顔を上げることができそうです。
わたしたちの生活に感染するポップウィルス
ポップウィルスというタイトル。
まさにウィルスのように私たちの生活に侵入してきた怪作を見事に言い表したタイトルです。
平成の一つの時代が終わるタイミングで、数十年に1枚と言える傑作と出会うことができて、忘れられない冬から春になりそうです。
西野カナ結婚後40歳での復帰を今は待つのみ
西野カナ結婚後40歳での復帰を今は待つのみ
西野カナが活動休止するというニュース。
営業車の中、サボりコーヒーを飲みながら開いたツイッター知って、動揺が隠せません。
43歳の自分にとって西野カナがいかに大きな存在だったのか。
残念でなりません。
ただ、一件客先を訪問、落ち着いた気持ちの中でフツフツとまた違った熱い思いが湧き上がってきました。
西野カナは今が休業すべきベストのタイミング。
40歳で復帰した彼女が育児のダークサイドを歌い出したとしたら。きっと世界は変わるはず。
何を言ってるんだよ、おっさん。
そう思ったか人も多いと思いますので、少し詳しく書いてみたいと思います。
西野カナが今、活動休止する理由
詳しいことはわからないタイミングで書きますが、僕は西野カナの今回の活動休止は、必然だと思っています。
大学生シンガーとした西野カナが活動を開始してから10年くらいになるのでしょうか。
彼女はその良い意味で拙い言葉の紡ぎ方で、多くの若い女性の支持を集めてきました。
女性だけではありません。結婚しているのに何故か童貞臭のする自分のようなオジさんにも、彼女のファンはたくさんいました。
だからトリセツを聴きながら、隣で寝ているふてぶてしい妻の寝顔も、柔らかい顔で見つめることができるのです。
西野カナが国民的シンガーになった理由。
それは繰り返し歌われるロマンティックな人生への憧れが、共感を呼んだからでしょう。
でも。10年。流石にロマンティックは歌い尽くしました。ロマンティックは止まるのです。
トリセツをピークに、彼女のロマンティックにはトキメキが失われていく一方でした。
そう。簡単に言うとネタ切れです。
西野カナは40歳まで休業すべき理由
ネタを集めるためにも、西野カナには充電が必要でしょう。
公言していたとおり、30代は南米を回って欲しいものです。ロクなネタは集まらないと思います。何故なら南米に、僕たち一般市民が共感する要素がないから。
それでも南米を回って欲しい。戦略的に20代を過ごした彼女には、無駄を過ごして欲しいのです。
(まさかの先にストレートに結婚の道を歩まれるようでした)
これは、今までお世話になった感謝の気持ち。
で、35歳くらいで南米にも飽きて婚活。
きっと彼女の歌に出てきたような素敵な旦那さんが見つかるでしょう。
そして一般的には高齢出産と言われる年齢での妊娠、出産。
西野カナ40歳からの逆襲
40歳になった西野カナは、また僕たちの生活に近づいてくるはずです。
一緒に夢を見ようと笑顔で歌っていた頃とは真逆。
鬼の形相で生活の大変さを綴るのです。
そして僕たちは本当の意味での共感をするのです。
結婚の現実、妊娠のしんどさ。ドラマチック性皆無の陣痛からの出産。
夜泣きがひとぐて、朝が来ることが信じられなかったり、イヤイヤ期の子供が嫌で、ついついソシャゲにハマったり。
西野カナがまくし立てるように歌ったとしたら。
そして、それでも可愛いよ娘よと歌ったとしたら。
10年の時を経て、西野カナの世界は完結するのです。
10年経ったら僕も50代。
楽しみなんてないと思っていたけれど、西野カナの活動休止の報を聞いて、少し明るい光が見えたのでした。
Love Collection 2 ?pink?(Special Edition)
- アーティスト: 西野 カナ
- 出版社/メーカー: Sony Music Labels Inc.
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※ちょっとご結婚が早まりそうですので、復帰も早いかもしれませんね!
瞬間的シックスセンスの感想レビュー。あいみょんとはなんだったのか。
あいみょんの新作、瞬間的シックスセンスを聴いてがっかりしませんでしたか?
なんか今のあいみょんには、イマイチとかって言葉を軽々しく言ってはいけない雰囲気があるので、がっかりしたとか言いにくいですよね。
でも、あいみょんの瞬間的シックスセンスをイマイチだと思ったあなたは、当然っちゃ当然ですので、自分にセンスがないとかって思わないでも大丈夫ですよ。
この記事では、なぜあいみょんの新作瞬間的シックスセンスがイマイチだと感じるのか、その理由について書いてみたいと思います。
あいみょんとはなんだったのか。瞬間的シックスセンスを聴いてわかったこと
瞬間的シックスセンスは危うさが抜けたあいみょんの挑戦作
あいみょんの新作瞬間的シックスセンスは、大大ブレイク後初のフルアルバム。
4曲のシングルを含んだ12曲で49分というジャスト長さもあって、久々の成功が約束されたアルバムです。
発売と同時にサブスクリプション対応している影響で、売上的なインパクトは少ないかもしれません。
それでも、間違いなく多くの音楽好き、若者を中心とした現役のリスナーたちは聴くことになるでしょう。
発売前から成功は約束されています。ただそれでも嫌な予感は的中して、イマイチ。拍子抜けなところがありました。
前作まであった強烈な危うさがあまり感じられないからです。
2回聞きました。1日で2回。
サラリーマンやってるんで、自由な時間はない自分。
貴重な自由時間のほぼすべてを、あいみょんに捧げたということになります。
2回聞いて、サクッと2回聞ける事にあいみょんの凄みと音楽巧者ぶりをまざまざと見せつけてられた気分。
でもこのアルバムには、前作青春のエキサイトメントにあった「ちょっと大丈夫?そんなこと公然と歌ってて」なんて空気はかなり薄まってしまっています。
あいみょんが失った官能小説の香り
あいみょんの危うさというか怪しさについては再三にわたってこのブログで紹介してきました。
端的に言うと万年ヘルプのキャバ嬢であったり、官能小説の味わいなんですよね。
そんなダメな感じが、ダメでも決して媚びていないところが、沢山のロックファンを勇気づけてきました。
瞬間的シックスセンスには、キャバ嬢の匂いも、官能小説の行間も出てきません。
何よりも負け犬の闘志。これを感じることができませんでした。
みんなあいみょんに期待しすぎ
あいみょんって、超王道なんかにはなり得ないんですよね。
でも、みんなが担ぎ上げてしまった。で、やれるところでやってやるよっていうあいみょんのモード。
それで力が入った綺麗なアルバムになったのが瞬間的シックスセンス。
みんなあいみょんに期待しすぎ。
そこまでじゃないって。
あいみょんがトップシンガーに昇りつめてしまうくらいに、日本の音楽事情はあまりよくないということでしょう。
押し出されたトップスターというところでしょうか。
期待値を落とせば瞬間的シックスセンスはかなり良いアルバム
もしもあいみょんがここまでブレイクしていなかったとしたら。
それで瞬間的シックスセンスを聴いていたとしたらどうでしょうか。
多分、僕は大絶賛しているでしょう。
なんて有望なアーティストが出てきたんだど。
2019年最初の期待作として聴くと、少し物足りないところはあります。
それでも、瞬間的シックスセンスは良作であることは間違いありません。
瞬間的シックスセンスは3曲目で成功が約束された
あいみょんの瞬間的シックスセンスは、冒頭2曲にメジャーなシングル曲が配置されています。
特に2曲目のマリーゴールドは、あいみょんを今のポジションに押し上げることとなった最重要曲です。
ですから2曲目までは安心して聴くことができます。
勝負となるのが3曲目というわけですが、これが期待値を超える怪曲でした。
あいみょん特有の陰湿なセンチメンタルが垣間見える、冒頭2曲とはトーンが明らかに違う旋律です。
この3曲目で2018年のブレイクしたあいみょんが、少しだけ2017年からこんにちはをしているような感じです。
3曲目であいみょんの世界のチャイムを鳴らす感じです。
瞬間的シックスセンスの最終曲にあいみょんの意地をみた
ただ、悲しいかな途中でシングル曲あり、良曲はあるのですがやはり場末のキャバクラ感がない。
とても聴きやすいアルバムだと感じてしまいましたとさ。
ああ、やっぱり期待に応えようとしすぎて、あいみょんは肩に力が入っているなあと感じながら聴いた最終曲あいみょんの意地をみました。
どことなく投げやりに掻き鳴らされる、とっちらかった最終曲。
壮大なエンディングにすることをあいみょんは選びませんでした。
「わたし、そんなんじゃないから」って、「紅白は出たけど、そんなんじゃないから」ってそんな感じの歌でした。
なんだか次につながる、とっちらかった歌だけど、そんなエンディングで瞬間的シックスセンスは終わります。
瞬間的シックスセンスでおすすめの3曲
少し期待値を落として聴くと、永遠に聴いていられるくのがあいみょんお瞬間的にシックスセンスです。
個人的におススメの3曲を紹介します。
夢追いベンガル
圧倒的におススメというか。これ1曲ばかり最近はリピートしているっていうのが、アルバム後半に配置された夢追いベンガル。
軽妙な疾走感で、いわゆるダメな凡人のことを歌っています。
「君はロックなんか聴かない」に出てくる”僕”が主人公のような歌。
こじらせた若いロックファンは、こんな感じ。
「なんでアイツの方が」という人のこと気にしてばっかりなイジイジした僕。
でもそんな”僕”が「とりあえず走ってみりゃいいんじゃね?」って思えるようなアンセムです。
文句なしの良曲で、アルバム中で最も危ういあいみょんを感じることができます。
ら、の話
上述したように、アルバムの成功を約束した名曲です。
あいみょんぽい感じもするけれど、ありそうでなかったあいみょんのポップチューンというところでしょうか。
どこに出しても恥ずかしくないポップソングです。
二人だけの国
シンガーあいみょんの素晴らしさを感じることができます。
高音部で、少しだけ苦しそうにしながらも我を忘れない歌唱が、かなりセクシーです。
あいみょんとはなんだったのか
今、本当に日本の音楽シーンに、お茶の間に到達するレベルで真っ当に楽曲を作っている人を見るのが難しくなってしまいました。
日本のトップシンガーは未だにデビュー20年を過ぎた宇多田ヒカルだったりします。
みんな次が欲しい。「音楽を聴いてる」って感じることができるシンガーはいないのか?
なんとなくそんなポジションに押し出されて、そんなポジションでも立ち回る実力があったのがあいみょんでしょう。
本来、あいみょんは脇役で、怪しくて、官能小説よりなのです。
それでも、時代に与えられた役割をその実力で演じている人、それがあいみょんなのでしょう。
今回の新作瞬間的シックスセンスは快作だと思います。
期待せずに聞いてみましょう。そうすればイマイチなんて感想は出てこないと思うのです。
キムタクの金麦CMに使われている曲って誰の歌?
金麦のCMにキムタクが登場。
キムタクももう46歳、なのにあのスタイル。ほんと、見習う必要がありますよね。
さて、キムタクのCMで流れている曲、「どうもどこかで聴いたことがあるけれど、誰の曲だっけ?」なんて気になっている人もいるのではないでしょうか。
キムタクの金麦CMで流れているのは小沢健二の歌「強い愛・強い気持ち」
キムタクの金麦CMでは綺麗なストリングスが奏でられています。
おっさんになっても優雅さを失わないでいようという、キムタクとストリングスの凛とした音がマッチしているわけですが、この楽曲は小沢健二の「強い愛・強い気持ち」という楽曲です。
「強い愛・強い気持ち」は1995年に発売された小沢健二7枚目のシングルで、オリコンでは7位を記録。
7位の割には、聞いたことがあるなあという人も多いのではないでしょうか。
小沢健二は、その売り上げ以上に強い影響力、浸透力を持つミュージシャンだからかもしれません。
筒美京平さんという有名な作曲家、編曲家との共作でもあります。
小沢健二ってどんなアーティスト?
小沢健二って誰だよ・・。
そんな読者も多いかもしれませんので、ご紹介します。
一言でいうと天才です。
以上。
といきたいことろですが、もう少し。
1980年代後半に、フリッパーズギターというユニットでデビュー。
その独特のスタイルが渋谷系という言葉の誕生につながったと言われています。
1968年生まれですから、2019年で51歳!
解散後はソロとして活動。
そのキュートなルックスと、東大卒の肩書などもあり、小沢健二というその名前が一気のお茶の間へ浸透することになります。
活動も波にのっていた1990代後半に、日本での音楽活動を休止。
その後、時折作品を発表したりはしていましたが、その拠点はニューヨークを中心とした海外となっていました。
そして2016年、突如が楽曲を発表、ライブ活動、テレビ出演なども含め、久々に精力的な活動を開始ししました。
小沢健二でおすすめのアルバム、歌は?
小沢健二でおすすめのアルバムと言えば「ライフ」というソロ2作目となるでしょう。
9曲入ったアルバムですが、その全てが名曲ですし、聴きやすい。
小沢健二の曲は若干ポップさが足りないというか、独特の雰囲気があります。
この「ライフ」を聴いてイマイチだと感じたとしたら、肌に合わないのかもしれません。
ライフにには、強い気持ち強い愛は収録されていません。
- アーティスト: 小沢健二,スチャダラパー,服部隆之
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1994/08/31
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曲単体となるとおススメは無数にあります。
少し前にポカリのCMに使われていた「さよならなんて言えないよ」、最近の活動再開後に発表した「流動体」、「アルペジオ(きっと魔法のトンネルの先」が個人的にはおススメです。
また、少し長いですが「ある光」という歌はちょっとポップさと壮大さを兼ねた日本のポップス史に残る名曲ではないでしょうか。
キムタクの金麦CMを機会に小沢健二を聴こう
小沢健二は本当に素晴らしいアーティストです。
キムタクのCMで少しも興味を持ったのなら、ぜひ一度楽曲を聴いてみてください。
あなたの世界がきっと広がります。
最近Applemusicで放映されたコラボシリーズなんかはとっつきやすいかもしれないので、加入している方はぜひ見てみてください。
あいみょんの武道館ライブが凄かった。放映日はいつ?
なんだかんだあいみょんの瞬間的シックスセンスを毎日のように聴いています。
あいみょんとはなんだったのか。瞬間的シックスセンスを聴いてわかったこと。
という記事にも書いたとおり、どこか怪しさがなくなったのが少し残念ではありますsが、その分リピート聴きしやすいアルバムになったんだなあという、発見があります。
さて、あいみょんにアンテナが自然と張られているからなのでしょうか。
偶然見かけたあいみょんの武道館ライブが凄かったという話を書いてみたいと思います。
あいみょんの武道館ライブが凄かった。
日曜日の朝、娘がEテレの録画を見ることに飽きたタイミング、チャンスとばかりにチャンネル選択の権利を獲得し、ジャパンカウントダウンという音楽番組をつけました。
なんとなく、日本の音楽状況がわかるこの番組。おっさん的に非常にありがたい。
そこで偶然目にしたのが、あいみょんが武道館コンサートをやっていたとニュース。
発表からわずか2か月で開催にいたったと、あいみょんが感慨深げに語っていました。
バックステージから、客席へ向かう瞬間、そして演奏シーンもそれなりの長さで放送されました。
これが思いのほかに良かったため、けらけらと楽しそうに笑う娘の横で、口を噤んでしまいました。
まさに圧巻と迫力。
あいみょんの武道館ライブは弾き語り仕様
あいみょんの武道館ライブは14,000人の前での弾き語り仕様で行われました。
一人対14,000人ってやつですね。
力をつけて自信のあるアーティストが繰り出す秘儀です。
昔は長渕剛がドームでやってました。
やっぱり、一人、弾き語りっていうことで、それだけで神々しい雰囲気が出ます。
ステージの上には一人。そこに注がれる視線とスポットライト。
その姿を見るだけで、ぼくたちは畏敬の念を抱かずにいられません。
あいみょんの武道館ライブ、その1曲目はマリーゴールド
あいみょんの武道館ライブの模様を放送したジャパンカウントダウンでは2曲が流れました。
1曲目が、あいみょん武道館ライブの1曲目でもあった名曲マリーゴールド。
「もお、離れないーでと」とはじまった第一声で、勝負はあった感じです。
これは歴史的なライブだなあと感じました。
2018年を走り続けた先の到達点。あいみょんの今の集大成なのはアルバム瞬間的シックスセンスではなく、武道館ライブだなと。
もちろんフルコーラスでは流れていません。それでも文句のつけようがない怪演でしたと断言できるレベルでした。
続いて放送されたのが、あいみょん武道館ライブの最終曲である「君はロックを聴かない」。
「きーみはローックなんかきかーない」とみんなでシンガロングするロックファンというシチュエーション。
その矛盾の模様は、祝祭で満ち溢れていました。
雰囲気で、あいみょんの武道館ライブは大成功だったことがわかる放送でした。
あいみょんの武道館ライブのセットリスト
■『AIMYON BUDOKAN -1995-』セットリスト
01. マリーゴールド
02. 愛を伝えたいだとか
03. わかってない
04. 満月の夜なら
05. 風のささやき
06. 恋をしたから
07. ○○ちゃん
08. ハルノヒ
09. 貴方解剖純愛歌~死ね~
【休憩/ゲストの○○ちゃんとラジオ放送】
10. 憧れてきたんだ
11. 今夜このまま
12. ふたりの世界
13. どうせ死ぬなら
14. GOOD NIGHT BABY
15. いつまでも
16. 生きていたんだよな
17. 1995(新曲)
18. 君はロックを聴かない
※オリコンニュースより
個人的には「憧れてきたんだ」と「生きていたんだよな」が嬉しいセットリストです。
あいみょんの武道館ライブを最速で見られるのはいつ?
さて、いてもたってもいられずフルバージョンが見たいと思ったのですが、この記事を書いている2019年2月の時点では見ることができません。
スペースシャワーTVでの独占放送となるようです。
日時は4月13日から。
最短期間で加入することも視野に入れたい。
それほどまでに、あいみょんの武道館ライブは素晴らしい予感しかしないのです。
ライジングサン2019に出演するキングヌーってどうなの?
2019年のライジングサンロックフェス、出演アーティストの第一弾発表がありましたね。
「ナンバーガールが復活するんだ」とか、「シシャモ最近見ないな」とかぽつりぽつりと感想が心の中でスパークジョイした方も多いでしょう。
さて、そこに名前が連なっている「KING Gnu(キングヌー」。
ラジオでのかかり方が半端ないですね。
一時期のサチモす以上だと思います。
このキングヌー、どうなんでしょうか。
キングヌーってどんな人たち
ウィキやまとめサイトを読んでいるとエリート音楽集団というイメージですね。
音からもインテリ臭がぶんぶん香ってきます。
東京藝術大学出身で、様々なプロジェクトを立ち上げてー。という感じです。
こんな偏見を持つのは、ボーカルの声がブラー、ゴリラズの主要メンバーである、デーモンアルバーンに似ているからっていうのもあるのかもしれません。
バンド名は、動物のヌーからとっているようです。
バンド名は、由来である“Gnu=ヌー”が、春から少しずつ合流してやがて巨大な群れになる習性を持っており、自分たちも老若男女を巻き込み大きな群れになりたいという思いから名づけられた[
※ウィキペディアより引用
バンド名の由来から考えると、かなり大きなところを目指しているように感じます。
が、ちょっとそのバックグラウンドから考えると難しいのではないでしょうか。
やっぱり、僕ら小市民は、いかに音楽が優れているかということと同様に、そのアーティストにストーリーを求めるからです。
「昔は、不良でー」とか。「すごい貧乏でー」とか。
そんな話がないと大衆からの熱狂的な支持が集まらないのは、悲しい現実です。
熱くなりきれないキングヌーの音
感じなキングヌーの音楽。むちゃ格好いいですね。
はじめて聞いた時は、どこぞのイギリスのバンドの新曲だろうと思っていたので、「これが日本のバンドなのか!」と胸を衝かれるような思いをしたことを覚えています。
2019年2月に出た新曲「白日」も素晴らしい出来栄え。
ちょっと頭一つ抜けているなと言う印象です。
だがしかし。
どうしてもイメージできないんですよね。
キングヌーのライブで、自分が我を失っ踊り狂う姿、声をからしてシンガロングする姿。
そういう音楽じゃあないのかもしれませんが、キングヌーの音からは躍らせよう、歌わせようという意思は感じるのです。
だけど僕の身体は、少し熱くなる程度。
キングヌーを聴いているとイギリスのあるバンドを思い出す
話は変わりますが、昔クーラーシェイカーというバンドがありました。
イギリスで、1996年くらいに登場、一世を風靡したバンドです。
当時はoasisを中心としたブリットポップ全盛(オアシスがブリットポップがどうかは微妙ですが)、その中で真打登場という感じのバンドでした。
このバンドの主要メンバー、クリスピアンミルズは、英才教育を受けた良いところの出の秀才。
少しインド思想に被れているイケメンでした。
クーラシェイカーの音は、当時のブリットポップ勢からは頭一つ抜けていました。
自分も「このバンド、オアシスなんて目じゃないかも!」と興奮したのを覚えています。
でもでも。
クーラシェイカーはそこまでブレイクしなかったんですよね。少なくとも、オアシスのように後世でも歌われるような歌はないんですよね。
キングヌーを聴いていると、クーラシェイカーを思い出してしまいます。
クーラシェイカーの音楽、今聞いても無茶良いですけどね。
キングヌーに過剰な期待をしないように
自戒を込めて書きます。
キングヌーに対して、過剰な期待をするのはやめましょう。
ロックの救世主だとか、革命児だとか、日本の音楽シーンを背負って立つとか。
間違いなくそういう類のバンドではないのですから。
ただ、高性能のロックを楽しみましょう。
同じ言語で、こんなにも洗練されたロックを聴くことができる。
今はその幸せを享受する。それだけで良いではないですか。