指原莉乃のりゅうちぇる批判がはなはだ的外れな件

ワイドナショーに指原莉乃が出ていて、相変わらず立ち振る舞いがうまいなあ。それに少し可愛くなったなあと見ていていたのだが、やっぱり看過できない発言をしてくれた。

 

りゅうちぇるのタトゥー騒動について、「インスタにあげる時点で批判がくるのは想定内、それに対して批判のコメントを出すのは違うんじゃないかと」。

そんな趣旨である。

 

一瞬、まあそのとおりだなと思ったし、松ちゃんも同じ意見のようだけれど、やっぱりこれが、この指原莉乃の発言こそが今の日本の閉塞感を象徴しているんだよと思った次第である。

 

意見を表明することが間違っているという風潮

タトゥー写真を投稿して、思ったより世の中にはタトゥーや外見に対しての偏見が強いと感じたりゅうちぇる。

「それはおかしい。人を外見で判断するな、タトゥーなんて日本以外では普通だよ」

こう声を上げることの何が違うのだろうか。

 

自分が起こしたアクションに対して、世間の多くがNOをつきつけてきた時は、黙っていなければならないのだろうか。

 

それ、おかしいよと声を上げるところから、世間の問題意識が高まるし、新しい発想もうまれていくはずだ。

 

いつも大人の言う通りにする昭和な価値観

指原莉乃の意見は至極真っ当だろう。自分が教育を受けてきた世界では、完璧な回答だし、サラリーマン社会で求められているような回答でもある。

さすが指原莉乃。もう大御所である。

 

でも、あくまで昭和の価値観の中での真っ当な模範解答である。

おかしいものにはNOと言わなかった日本社会は、いたるところからほころびが出てきている。

企業が長い間隠蔽してきた不祥事や不正が、ガンガン明るみに出てきている。

 

もう、指原莉乃のような回答、みんなが求めていて、立場が上の人が喜ぶ回答をしている場合じゃないのだ。

次のステージにいかなければならない。

 

りゅうちぇるがんばれ

二日連続でりゅうちぇるの事に触れたが、自分は別にりゅうちぇるは好きではない。

でも、最近の彼は存分に格好いいし、新しい価値観で思いっきり社会と対峙している姿には学ぶべきところが大きい。

 

指原莉乃のように、50代の松ちゃんや60代の泉谷しげるに喜ばれるコメントをしているより、違うことは違う、変だと思うことは変だと主張するりゅうちぇるの背中はどうしても押したくなってくる。

 

自分の世代はあきらめているけれど、娘の世代ではもう少し楽しい世の中になっていてほしい。

りゅうちぇるのような立ち振る舞いが自然になればなるほど、そんな未来が見えてくるはずだから。

りゅうちぇるのタトゥーを気にしている人が恐れていること

りゅうちぇるが子供と奥さんの名前を両肩に入れた話が話題になっている。

まあ、賛否はあるだろうなあと思っていたのだけれど、びっくりしたのが否が圧倒的に目に付くという事。

 

わたしが芸能ニュースを目にするのは、主にネット。

比較的若者のメディアとされているネットニュースやSNS上でさえ、「もうファンを辞めます」とか「幻滅しました」とか、「プール行けなくて子供が可哀そう」とかの意見がテンコ盛りというわけです。

若者のメディアがこうなら、テレビや雑誌に接している中高年層は、完全否定に近いんだろうなとイメージできてしまいます。

 

今は何時代なんだよという。

 

純粋に格好良いりゅうちぇる

インスタのストーリーに期間限定で公開されている、タトゥーを入れたりゅうちぇるの写真。

控えめに言ってかなり格好良かった。

もともとイケメンなのを、あの奇抜な格好でコーティングしていただけだから、イケメンなのは想定通りなんだけど、タトゥーによって男らしさみたいなのが強調された感じ。

 

タトゥーといってもスミ色のシンプルな比較的さりげないもので、まあおしゃれでかわいい。

 

もう一度言うが、「へえ、りゅうちぇる格好良い」って感想を持った。

 

りゅうちぇるのタトゥーの何が嫌なのか

アホでおかまキャラだったりゅうちぇるが、結婚をして子供を産んで、立派に父親として奮闘している姿を多くの人が目にするようになってきた。

「なんか、自分たちが知っているりゅうちぇるじゃない」

 

タトゥー批判をしている人の中には、純粋に時代錯誤の他に、この「知っていたりゅうちぇると違う」に反発している人もいるのではないだろうか。

それが意識的であれ、無意識であれ。

 

いじめられっこがいつの間にか立派になっていた

人は自分より下だと思っている人をみると妙に安心してしまう。

自分より容姿が劣っていたり、収入が低かったり、運動ができなかったり。

だから芸能界からはおバカキャラは消えないし、際物であるお姉キャラも常に人気があるのだろう。

 

実際に劣っているかどうかは別として、劣って見えるキャラをみんなは欲している。

アホだなあと言いながらそんな彼や彼女らを見て安心をする。

以前のりゅうちぇるもそうだった。

 

でもりゅうちぇるはどんどん変わっていく。

多分父親になることを意識してなのだろうけれど、どんどんまともになっていく。

いや、アホなふりをするのをやめたのだろう。

 

タトゥー批判をしている人たちはそれが気に食わない。

アホでお姉キャラだったりゅうちぇるが、いつの間にか立派な父親になって、両腕にタトゥーなんか入れて海外セレブみたいになっているのだ。

一気に追い抜かされた気分なのだろう。

 

とりあえず世間は許さないと言っておく

だからタトゥーなんて世間が許さないと大声で非難する。

いや、許していないのは世間ではなく、自分なのに。

 

そしてプールにいけないと騒ぐ。

いや、だったら海行くし、こちとら毛深いからプールには元から行ってないんだよという話でもある(いや、毛深いのはりゅうちぇるではなく)。

 

自分より下だと思っている人が、いつの間にか立派になっていく恐怖。

それをお茶の間のわたしたちは、りゅうちぇるに突き付けられている。

ローラ迷うことなく歩みを進める新しい道

バラエティ番組から消えたローラ

ローラがテレビに出なくなってからどのくらいが経つのだろうか。

いや、正確にはテレビの”バラエティ番組”に出なくなってから、どのくらい経つのだろうか。

 

事務所独立騒動から、トラブルメーカーとしての扱いを受けてしまったのか、それまでは引く手あまたであったバラエティ番組で姿を見ることはなくなってしまった。

今では、その活動拠点を海外へ移し、主な活躍の場はテレビCMであったり、インスタグラムといったSNSである。

 

バラエティ番組経由でのお茶の間への露出はめっきり減ってしまったが、ティーンを中心とした若い女性への影響力はいまだ衰え知らずで、その底力はやはりといったところ。

 

ユニセフへの1,000万円の寄付が意味すること

最近ではハリウッド映画へ出演するなど、より一層活躍の場を広げているローラだが、少し今までとは毛色の違うニュースを目にした。

ユニセフへ1,000万円の寄付をしたというのだ。

 

動機は、子供や動物の幸せを願ってとのこと。

海外セレブの間では、慈善活動や寄付活動は至極当然の話で、わたしたち日本人も海外セレブの慈善活動のニュースはたびたび目にする機会があるだろう。

 

ただ、こと日本となると話は変わってくる。

多額の寄付をしている芸能人のニュースをそれほど見る機会はない。

名前を明かさず寄付活動をしている芸能人は恐らくいるだろう、しかし寄付したことを公に、自然に明かすような芸能人はそれほど多くはないだろう。

 

ニュースになると言えば、「実はあの芸能人がお忍びでボランティアに来ていた」的なタイガーマスク的な話ばかり。

 

だからこそ、ローラの1,000万円の寄付に対しては、疑問符をつける人もいるのだろう。

でも、とても残念だけれど、今回のローラの寄付に疑問符をつけるような人たちは、もうローラの視界には入っていないだろう。

もう、ローラはそんな次元を、スケールの小さな日本という世界の中で通用する同調圧力からは遥か遠くに解き放たれた場所にいあるのだから。

 

勇敢なリズムで歩くローラ

事務所から独立をして、我が道をローラは歩き出したのだ。

日本のどうでも良いしがらみを引きちぎって、今まで積み上げてきたローラブランドを礎に、自分のやりたいことをやりたいように、世界基準でただやるだけなのだ。

 

そして日本の若者たちも気が付いている、ローラは正しい。

いや、正しいかどうかはわからないけれど、ローラのように自分の信念を持って行動をすることはごく自然な話で、目指すべき道だと。

 

もうローラははるか遠くの別の道を歩いている。

勇敢なリズムで混とんとした密林をかき分けながら歩いているのだ。

あいみょん何度か官能小説の話をするも吉岡理帆にスルーされる

吉岡里帆写真集 so long

あいみょんの勢いが止まらない。

今年の夏は、各地のフェスに登場し、北海道岩見沢で行われたジョインアライブでは、入場規制がかかったほどの大人気。

 

完全に若い世代のヤングガールたちの心をつかんでいるのがヒシヒシと感じられる。

 

さて、破竹の勢いで進軍ラッパを鳴らしながら闊歩している状態のあいみょん。

先日、吉岡里帆がパーソナリティーを務める「URライフスタイルカレッジ」にゲストと呼ばれていたのを聴いたのだが、やっぱり我が道を行くというそのイメージとおりの立ち振る舞いをしていたので、ご紹介をしたい。

 

 

あいみょん何度か官能小説の話をするも吉岡理帆にスルーされる

あいみょんと吉岡理帆の関係は?

吉岡理帆が主演する映画"音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!"

に主題歌を提供したのが縁で知り合いになったようだ。

 

あいみょんのワンマンはもちろん、登場する音楽イベントへ足を運んでいるとのことで、吉岡里帆はすっかりあいみょんの才能にほれ込んでいる様子。

ただ、あいみょんからは吉岡里帆の出演作品に対する言及などは、まったくなかったことを考えると、相思相愛とはいっていないようだ。

 

あいみょんが出演したURライフスタイルカレッジってどんな番組?

ちなみにこのラジオURライフスタイルカレッジは日曜日の6時からのオンエア。

吉岡里帆の優しい声が好きで、自分はなるべく聞くようにしている。

著名人を読んで、前半のフリートークから、スポンサードしているUR色を出した後半の家トークまで、比較的高尚な雰囲気で番組は展開していく。

 

もちろん。高尚なのは雰囲気なのだけれど、日曜日の夕方、ほてった気持ちをクールダウンさせていくにはばっちりな番組だ。

 

吉岡里帆コンセプトフォトブック「13 notes#」 (TOKYO NEWS MOOK)

官能小説の話を2回するあいみょん

そんな高尚な雰囲気へ、あいみょんがゲストとして呼ばれるたことが、なんだか新鮮だった。

あいみょん、高尚な雰囲気しないよね?と。

 

ただ、ちょうど映画のプロモーションが始まった時期だということを理解して、ああなるほどと納得はした。

 

このあいみょん登場のURライフスタイルカレッジで秀逸だったのが、あいみょんが口走った”官能小説”という言葉。

 

番組序盤、何からインスピレーションを受けている?といった話の流れから飛び出た「官能小説」という言葉。

ガシッとスルーされる。

吉岡里帆のこれまでや、今の立ち位置から考えるとセクシャリティーを感じる話はできるだけ避けたいところだろうから、スルーはやむなし。

 

ただ、あいみょん。そこは天然キャバ嬢のごとくの振舞をここで見せるのである。

番組中盤、今住んでいる自由が丘の本屋についての話が及んだ際の一言。

「はじめて官能小説を買ったの本屋なんですけどね」

 

・・・・・・・・・・・・・・・・。

吉岡里帆ふたたび。

 

 

何故あいみょんは官能小説の話にこだわったのか

どうしてあいみょんは、わざわざ日曜夕方のラジオ番組で二度も官能小説という言葉を発したのか。

 

あいみょんの曲の根底流れる、譲れないもの、それが官能だったからではないだろうか。

まさにブレイクの砲撃が発射されようとしている今のタイミング、ここで自分のことをしっかり理解してもらうことができなければ、それは一過性のもので終わってしまう。

その危機感からではないだろうか。

 

特に吉岡里帆という、ポップアイコンをたどってあいみょんを知る人には、どうしても知っておいてほしかったことなのだろう。

 

しかしながら、相手は吉岡里帆。

若き諸葛孔明と言われるほどの策士である、あいみょんの重い通りには場を制圧させなかった。

それが事の真相だろう。

 

あいみょんと吉岡里帆。

若い女性の激しい攻防戦を聴くことができる最上のエンターテイメントだった。

 

あいみょんから官能小説の匂いが消えつつあるのが気がかり

さて、あいみょんが吉岡理帆のラジオ番組に出たのが2018年の秋。

この頃から超注目株であったことには変わりはないのだけれど、その後、2018年の年末にかけて私たちは目の当たりにすることになるのである。

「あいみょんが大ブレイクしていく様」を。

 

ラジオ番組で吉岡理帆と官能小説をめぐる激しい攻防戦を終えたあと、あいみょんは年末の特番、そして紅白歌合戦へと闘いの場を移していくことになる。

 

紅白歌合戦でのあいみょん。

凛とした佇まいで奏でられるマリーゴールドを聴きながら、40歳を超えた私は不覚にもサブイボを立ててしまった。

悪い意味ではなく。ぞくぞくとした感動を与えられたのが。

 

2018年の紅白は、後半にかけて異様な盛り上がりをみせる神回であった。

その後半と比べると、前半が少し迫力不足だったのは言うまでもない話。

 

そんな少し敗戦ムードただよう2018年の紅白歌合戦の前半、あいみょんは孤軍奮闘をしているように見えた。

そのくらい紅白歌合戦でのあいみょんは素晴らしかった。

 

2018年、紅白を頂点としたあいみょんフィーバー。

そんな中で一つの気がかりが、官能小説。

2018年の後半、お茶の間シンガーとして認知されたあいみょんからは、官能小説の匂いがすっかり消えていたように感じてしまう。

 

あいみょんの魅力である、世間との摩擦を象徴するのが官能小説感だと自分は思っている。

だから、こんなクソみたいなブログも書いている。

そんなあいみょんの魅力である官能小説感が、2018年の後半からは漂わなくなってしまったのである。

 

2019年、はたしてあいみょんは大丈夫なのか。官能小説に頼らずに、次のステージをジャンプすることができるのか。

その試金石となるのが瞬間的シックスセンスだろう。

 

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あいみょんのマリーゴールド。なんて古臭くて最高のロックソング

あいみょんの新曲「マリーゴールド」がapplemusicで配信が開始されていたので、久々のハイボールを飲みながら聴いてみました。

 

あいみょん聴いていると川村かおりを思い出す

ラップやハウスを聴くことが多くなってきたので、あいみょんが鳴らすオーソドックスなリズムは少々もったり感じます。

まあ、それがいいっちゃいいねって話ではあります。

楽っちゃ楽だよねと。想像がつく展開で。

 

で、この想像つく感じも含めて、自分があいみょんを聴いていていつも思い出すのは、川村かおり。

ミドルテンポの女性ボーカルっていうと、自分の中では川村かおりなんですよね。

中学時代だったと思います。

そこそこ聞いた記憶があって、今の中高生にとって、あいみょんは自分にとっての川村かおりと同じような、なんとなく人知れずひっそりと聴く音楽なのかなって思います。

 

余談ですが、川村かおりさん、亡くなっていたんですね。

ずっとずっと静かに音楽活動を続けているんだろうなと、勝手な思い込みをしていただけにびっくりしました。

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

夏フェスにぴったりの爽快感がある曲

涼しげに平熱を意識して歌われるクールなミドルテンポなロック調のあいみょんの新曲マリーゴールド。

夏に聴きたい。夏フェスで聴きたい。

できれば夏フェスの15時~17時くらいのまったりとした雰囲気の中で聴きたい。

あいみょんのマリーゴールドはそんな歌だなあと。

 

今年の夏フェスはロックインジャパンに出るんですね。

きっとあいみょん聴きながら、ノスタルジックな気分を満喫できるのかなって思います。


あいみょん - マリーゴールド【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

 

多分絶対メジャーにならないことがわかったあいみょん

あいみょんの新曲マリーゴールドを聴いていて思いました。

絶対メジャーにはならないよねえと。

立ち位置としてはやっぱり川村かおりだよねえと。

 

なんだか芯が強そうだし、自分のペースを持っていそうだし、しっとりと長く長くタイムレスメロディーをつむいでいきそうなイメージが想起されます。

 

自分が60歳になったころ、妙齢のあいみょんが北海道の小さなフェスかなんかに登場して、大きくなった娘と、はじめてあいみょんのライブを見る。

そんなシチュエーションもありだよなあなんて。

 

どうかどうか、そんな夢のような話が実現しますように。

 

2018年12月29日追記

なんてことを言っていたんだという展開だった、2018年のあいみょん快進撃。

まさかの紅白。

今年1番ブレイクしたアーティストとか言われまくりです。

 

あいみょんがこれだけ流行る時代ってのもなあ。

なんだか不景気の足音が聞こえてくるわけです。

【早期購入特典あり】マリーゴールド(マリーゴールド オリジナル クリアファイル付き)

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少し遅かった2時間だけのバカンス

 

 

働き方改革もだいぶ浸透してきて、朝まで働くとかはもう狂人の世界の話だよなっていう雰囲気になってきたのは非常にうれしい話です。

 

10年程度前、電通と並ぶくらいに日本を代表するトヨタ以外の会社で働いていました。

新卒で入社してそうそうに地方都市へ飛ばされたのは良い思い出です。

いや。飛ばされたってのは、完全な被害妄想か。

実際、あの時の地方離散組から出世頭が出ているんだし。

 

地方都市で美味しい焼き肉に舌鼓を打っていたら、本部からお呼びがかかりました。

少し前まで一緒に仕事をしていた、いや、仕事や人生の教えを請うていた先輩達を統括するポジションです。

勘違いもしたし、この場所から離れたくないと必死でした。

実際、あの必死さが今の自分に余裕を与えているのかなと思います。

 

夜中の三時。キャバクラ帰りの幹部を待ってからの会議は、テンションがどうしようもないくらいに上がったのも偽らざる記憶です。

今思うと狂ってるし、仕事ができるとは言い難い集団ですね。

 

みんなで会議をやってる時は、アドレナリンが出ます。中々ないですからね。午前3時からの会議。

でも、午前3時の会議が4時に終わって、自分の作った資料に全会一致でダメを出されたとしたら?

 明け方、ひとり黙々と仕事をしていた同僚の姿がありました。

彼の姿を見たのはそれが最後でした。

 

彼の資料がダメを出されたのかは今となってはわかりません。

夜中?朝?4時に彼は自席の周りだけ電気をつけて、静かに仕事をしていました。

 

でも、夜中の3時からでも良いから、ちょっと飲みに行ったり、お姉ちゃんをからかいに行ったり、なんでも良いから、楽しむ余裕があれば。

 

もひかしたら、あの会社では今もまだ、三連休の最終日の日付が変わろうとしているのに、オフィスで働いている彼のような若者がいるのかもしれません。

 

もしそうなら、宇多田ヒカルの新しいアルバムを聴いて一息ついて欲しい。

2時間だけのバカンスで、生涯忘れられる事が難しい笑顔にであえるのかなって思うかも。

 

デビューアルバムではひたすら恋の尊さを少し無邪気に歌っていた彼女。

あれから20年。恋さえする余裕のない同年代へのエールが厳かに鳴っています、

 

 

二時間だけのバカンス [feat. 椎名林檎]

二時間だけのバカンス [feat. 椎名林檎]

 

 

宇多田ヒカルの復帰2作目「初恋」の感想。前作「ファントーム」を超えられたのか!?

気になっているものを放置しているのも身体によくないと思い、昨晩、ハイボールを一気に身体に流し込んだ勢いで宇多田ヒカルの初恋をレンタルしに、ツタヤで行ってきました。

なぜレンタルにしたのか。

やはり良作の雰囲気が全曲視聴からは感じられなかったからです。

他、applemusicで配信されていない、聴きたい音楽もたまっていたので、まあ丁度良いというところでしょうか。

 

やっぱり跳ねた曲は少ない

全曲視聴していたのでわかっていましたが、やはり跳ねた曲が少ない。

自分は、トラベリングが宇多田ヒカルの曲の中では最もはまった曲なので、アルバム「初恋」のように終始落ち気味のトーンのアルバムはあまり得意ではありません。

 

跳ねた曲は、先行配信で聴いてばっちりはまったplay a love songくらいでした。

 

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知っている曲が意外と多い

ちょっと意外だったのが、すでに耳にしていた曲がそこそこあったということ。

タイトルトラック「初恋」はもちろん、「あなた」、「Foreevermore」、「大空で抱きしめて」、そして冒頭の「Play A Love Song」と全12曲中うち5曲と半分近くが何らかの形ですでに聞いたことがある曲でした。

 

タイアップがあまりないイメージではありましたが、そこはなんだかんだという話でしょうか。

もしかするとレコード会社が今回のアルバムから変わったという影響もあるかもしれません。

 

ただ、やはり知っている曲の割合が高く、それらにはまっていない状況だと、ちょっとアルバムへの興奮の度合いも下がってしまうのが正直なところではあります。

 

 

曲としての初恋は傑作、だがしかし

初恋という曲はやはりハッとしてしまうほどの名曲です。

自分が好きなタイプの跳ねた宇多田ヒカルの曲ではありませんが、そのスケール感や紡ぎだされる日本語の美しさには、茫然としてしまいます。

 

ただ、あまりにこの曲としての初恋が良すぎるせいか、アルバム全体が初恋に支配されているような気がします。

冒頭Play A Love Songが軽やかかつ厳かに鳴らされた後は、終始どんよりとしたトーンが支配します。

美しく、静か。

 

ただ、事前に想像していたとおりの藤圭子調ではありません。

もっと綺麗で淡々としている印象です。

 

そう、曲としての初恋は素晴らしいけれど、アルバムとしての初恋はひどく物足りないのが正直なところです。

 

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前作ファントームがあまりに良すぎた

前作でり復帰作であるファントームは本当に良いアルバムで、久々にきたなあという喜びがあふれ出てくる作品でした。

比較してしまうとどうしてもというのが、今回のアルバム「初恋」です。

 

ただ、前作と比べたり、宇多田ヒカルのアルバムという冠言葉を抜けば、そこそこのアルバムのような気はします。

それぞれの曲は綺麗なメロディーで、ホーンやストリングスが印象的なアレンジもさすがです。

たまに聴くことはあると思います。

 

ただやっぱり、期待が強すぎたので、この出来だとレンタルにしておいてよかったなというのが、偽りのない感想です。

 

初恋

初恋

 

 

宇多田ヒカルのアルバム「初恋」が藤圭子調で買う気が起きない

 リードシングル的なプレイアラブソングがすこぶる良かったから、超期待していた宇多田ヒカルのアルバム。

まだ買っていません。

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タイトルソング初恋は悪くはないのに・・

リードシングルは悪くないのは、過去記事にも書いたとおりです。

タイトルソングの初恋も結構凄みがあってきわどく嫌いじゃありません。

ただ、アルバム「初恋」に入っている曲のすべてが、この「きわどく嫌いじゃない」ムードに支配されているのです。

 

大谷やイチローがすごいことに異論はないように、宇多田ヒカルのことは無条件で認めているのですが、すべてのアルバムを愛聴してきたわけではありません。

ファーストアルバム、セカンドアルバム以降はぶっちゃけ曲単位で聞いてきました。

 

ですから、気に入った曲がないタイミングでは、自分の中から宇多田ヒカルの存在は消えていたという具合です。

 

 

藤圭子調のだらっとしたトーンの宇多田ヒカルが嫌い

自分が好きな宇多田ヒカルの曲は跳ねている感じの曲です。

昔でいとトラベリングで、今回のアルバムでいうところのプレイアラブソング。

 

逆に自分が嫌いな宇多田ヒカルの曲はbe my lastで、今回のアルバムでいうときわどく初恋調(初恋は好きですけどね)。

 

なんとなくダラーっとして怨念めいた感じがする曲が嫌いです。

宇多田ヒカルって本来暗い人だと思うのですが、そこを無理して跳ねるところが響いてくるのかなと。

 

暗い人がだらっとした歌を歌うと、聴いていて滅入ってくるのです。

 

前作がアホみたいに良い怪作だったので期待していたんですが、ちょっぴり残念な気分です。

 

初恋

初恋

 

 

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